あらかわ遊園
どうでしょうか?
このところ、ストレスを感じると言いますか、んぐぅー、もうダメだぁ!という頭になりながら事務所を出て、部屋に帰るからか。料理がストレス解消になっています。手短にと思いつつ、いつも何かを刻んでいます。と言っても、すべて自分の胃袋へと消えていくのですが。ぺろりと。
フジロックかぁ。みんなで行けば、怖くない…。
会社を起こすんですか…。どうしますかね…。確かに…。
Jeff Millsを聞きながら、構造から生まれていくワイヤーフレーム的な映像が頭の中を走る。最近、こういった構造的なところから何かインタフェースを、と思っているのだが、実際に自分が作るのは違ったりする。どちらかというと、水面を触るような、または木の葉に止まるしずくのようなものを触る感覚。そういったものをユーザーインタフェースで表現出来ないかと思っているのだ。情報とは実質、形を持たずたゆたうものでもある。それとのインタフェース、つまり境界。それをどう気持ちよくデザインするか。
情報は何か体にまとわりつくように宙を舞うように存在しているのかもしれない。半野さんのアルバムを聴きながら、羽衣のような包容感のあるインタフェースについて、思いを馳せたことがあるのだが、羽衣の中に実はトゲのようなものがあることで、よりインタフェースとしてリアリティを増すのではないかと思う。つまり、きれいで心地よい中に、痛く、自分の神経中枢を刺激するようなものが忽然と、または気付かないところで出現すると、そこに意外性があり、次の瞬間に入ってくる刺激は、とてもインパクトのあるものになるのではないかと。それが、実はリアリティを生むのではないかと。
好きな女の子のいつもの香りとは違う、なんだか生を感じさせるようないつとも違う別な香りが一瞬香ってしまったとき、めまいを覚える。それは、瞬間に表れ、次の瞬間にはなくなり、自分の中に残るのは、確か数秒前に、そういうことを経験して、さっきまでの相手とは違う相手を見つめている、さっきまでとは違う自分の存在。その2者の存在を確かに、客観的に見つつも、主観的な衝撃を理解しきれずにいる自分。そこに、リアリティがあるような気がする。