定点
via cine-futuro
相方のblogを見て感動。さくらがいかに満開に近づいていくかの定点写真。午前の様子から午後への様子の変化がすごい。一気に生命のエネルギーが放出されていくようで、力強さ、いや生命の確固たるものを感じる。
定点って、やっぱり面白いですね。普段、確かに見ている風景が連続に切り取られると、そこに再発見がある。その発見をしている時点で、ある意味別な風景になっているのかも。つまり、視点とは何かしら時間軸というものを持っているはず。今、自分が見つめている映像には時間軸がある。それは、いつもの時間。しかし、定点撮影された連続写真または映像には、別な時間軸が付加されている。そして、前者の時間軸は編集されていないのに、後者の時間軸はその一定間隔は誰かに決められており、編集されている。また、同時に、その映像に対しての意味合いの持ち方も変わってくる。
きっと、さくらをふと見上げたときには、この連続写真を見たときのような印象は無い。しかし、連続写真になったことによって、その印象を持つ。写真・映像は、人間の生身が持つ感覚を飛び越えさせてくれたのか。いや、人も想像によって、連続的な写真・映像を見ることができる。もしかすると、写真・映像は、人の想像力を限定されているのか。
限定。人が手で囲って、これは自分のものであると意思表示する。そのことによって、小宇宙を手に入れたように錯覚するが、自分もその小宇宙の一個過ぎず、無限の世界の一点にしか過ぎない。
そう考えると、今の映像を見ている自分も、定点撮影された連続写真を見ている自分も、無限の世界の一点。