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2004.06.07

盛岡の某クラブのサイトを担当することになった。恐らく小規模なものになりそうだが。

無条件で、尊敬しちゃうと言うか、憧れてしまう人が自分には数人いるのですが、その一人、中田英寿のインタビューが昨日、今日とテレビで流れていた。スポーツ選手と言うよりは、一人の何かを成し遂げようとしている、挑戦しようとしている人間として、やはりすごい人だなぁと改めて感じました。

友人が家に来て飯を食べて、親父が帰ってきてから日本酒を飲み始め友人を交えて、いろいろ会話を交わしました。話は弾んで、盛岡の街の歴史の話になり、生まれたときから盛岡に住む父親の話に耳を傾けたのですが、おもしろい。

例えば、自分がバイト先をしていた盛岡市本町の田口カメラの向かい側を古い地名で、「大手先」というのです。で、この「大手」という意味は、盛岡城(現岩手公園)の大手門の意で、お城の入り口になるのです。詳しくないのですが、昔、お城に使える者たちはここから登城したのかな。その大手門の先だから、大手先というのだそうです。そして、ここから話がおもしろい。その大手先門に通じる田口カメラから続く道、田口カメラのところで突き当たりにぶつかるのです。利便性を考えるならば、そのまま真っ直ぐ、現在の愛宕町方面へ続いていればいいのですが、ちょっとずれてまた道が続くのです。いわゆる、城下町特有のカギ十字型の道のつくりになっているのです。現代の区画整備とは逆をいっているわけで、きちんとした十字路ではないので交通渋滞の種になる可能性は高いです。昔は、お城に簡単に攻め込まれないように、直線の道にしないで、あえて角をつけてお城の防衛能力を高めようとしたんですね。

話を聞くと、そんな複雑な交差点が本町にあるなぁと思い起こされるわけです。なぜ、近代の区画整理の流れの中でも残ったのか?それは、空襲で焼かれなかったからと言うのが大きいらしいのです。その時、自分は、今の街に息づく歴史みたいのを感じて、浪漫じゃないですけど、素敵だなと思ったんです。

確かに、交通渋滞の素にはなるんですが、そこに自分はこの街のアイデンティティを感じたんです。この街は、城下町で先の大戦の中でも残ったんだなって。この街の持っている個性というか、昨日書いた手の写真の手に残る傷のように。故本田宗一郎氏の手には職人としてのいくつもの傷があって、氏はその傷が何の開発の時に負った傷なのかを一つ一つ覚えていたとか。そういう記憶を導き出す印だなって。

今の街に息づく歴史、いや街のアイデンティティを、24歳までこの街で生きてきた自分はその歴史を知らなかったんです。もしかしたら、昔、小学校の頃に習ったのかもしれないけど、気にも留めなかったのかもしれないし、誰も教えてはくれなかったのかもしれないし。

実は、この話に至るときに街区整理のために古い地名が失われているという話をしていたのですが、郵便番号や番地を扱うシステムの記憶能力が上がれば、細かい地名があっても全然平気なんですね。これは、名字などの感じを簡略してしまったことに近くて、それを取り戻すことって大事なんです。映画「千と千尋の神隠し」の主人公と同じように。

そういう街のアイデンティティを残しつつ、新しい街をデザインしていく。社会をデザインしていくって必要だなと思うんです。盛岡の人は、そんなことは思っていないと思うけれども、ああいう交差点を簡単になくしては行けないと思うんです。むしろ、その上に、知恵を絞って何かを生み出していくべきだなと思うんです。

クリエイティビティ、そしてデザインは、街、社会を変えていく力を持っている。そう思うんです。それは、いろんなジャンル、レヴェルのデザインにおいても。

受け継ぎたいアイデンティティ、そして確立したいアイデンティティ。

デザインが僕らのアイデンティティをつくっていく。なかなか素敵だな。いや、素敵でしょ。