Powered by
Movable Type

2004.04.17

ひたすら段取り作業に追われる。

音楽というのはやはりおもしろいものだなぁと思った。というのも、同じ年代の人たちに好きな音楽は?と聞くと共通項になるようなミュージシャンの名前が出てくる。単純だけどおもしろい。その共通項と違う点を見いだしていくというのが、人と話していておもしろいところかもしれない。

ネガティブ日記にならないように、自分からも提案をしていかなければ。このコーナを読んでいる方は、アラカワは何?宮澤賢治と石川啄木が嫌いなわけ?という過激な反感を持っている人が出てきてもおかしくないぐらい、彼らを無意味に持ち上げるコンテンツ、施設等を否定してきた。個人的には、宮澤賢治はとても偉大なアーティストであると思う。あの時代だから存在できたのかもしれないが、現代に生きていたらどんなクリエイタになっていたのだろうと考えることもある。とても、マルチな才能を持っている方だから、それを結びつけるような現代の技術があれば、きっとまた違うものを僕らに見せてくれたのではないかと想像してしまう。

今、自分たちが求められているのは、そういうアーティスト、クリエイタを育てていくこと、または自分たちがなっていくことなのだと思う。つまり、この21世紀の初頭においてやらなければならないことは、彼らを顕彰したり、彼らを観光資源にすると言うことに傾倒するのではなく、21世紀の宮澤賢治、石川啄木を育てることにもっと注力しなければならないと言うことである。

単純に石油のように枯渇するものではないが、彼らをコンテンツの素にするのには限界がある。それは、彼らの作品に限界があるのではなく、それらに頼るコンテンツ制作システムによって持たされる弊害が要因で、新しいコンテンツ制作の担い手が育っていないのではないか?って思うところがある。そういう観点から、全体的に見て枯渇が進んでいるのではないかと思うのである。

いろいろ業界を探っていくと、いろんな人がいて、誰もいないなどとは言い切れないが、普通の受け手の人たちは、プロ問わず、盛岡のつくり手はださい人が多いと平然と言う。それが今の盛岡・岩手の状況である。自分もその状況をおもしろいと思っていないが、個人的にもそう思う。いつも、これ?で金もらっているの?と思うし。これで、何がおもしろいんだと思うし。

本気で21世紀の宮澤賢治・石川啄木を育てる。これが、盛岡・岩手の21世紀初頭における命題だと思う。