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2003.09.24

ひさびさに、ムムッと思うことがあった。映像作家として。

あっ、俺、なめられているなと思った。

やっぱ世に作品を出すと言うことは、それなりの覚悟が必要でして、少なくともこれで行けると思わなければ、出せないと思うんです。やっぱ、誰にであろうとも、初出しと言うのはとても重要なことで、突き詰めて行けば行くほど、初出しと言うのは「恐怖」なんですよ。

もちろん、なめられていると言うか、向こう側にもそれなりの事情があって、そういうことを言ったのだと思うんだけど、相手側も作品制作に関わっているし、旧知の人だったので、逆にムムッと来た次第で。あんまね、人の陰口を叩くことは良くないのですが、自分にも非はあると思うので、自らを省みると言うことでもここで書こうかなと。

ずーと、十字架を背負っていると言うか、大罪を犯したと自分では思っているんです。自分をよく知っている人は、あの時点であれはしょうがなかったというか、アラカワケンスケ一人が悪いわけではないと。でも、罪は罪だと思うのです。表現者として、一市民として、一個人として、あの瞬間、罪人だったなと。最近、ようやくそのことを整理したりできるようになったというか、歴史的事実としてみつめられるようになって、ようやく自分に自身を取り戻しつつあると言いますか、何を変えなければならないのかとかを考える必要があるなとか、じゃぁどう変えようとか。その罪を償うべきかとか。無論、自分の中では歴史的事実とかには、本当はなっていなくて、すぐに思い出せそうな、すぐそばにある瞬間なんです。

その償いとは、自分でもベストと思えるものを世に出して行くことなんだと思います。表現者、映像作家とは、いかに一市民であって、社会性を持つか、だということも問われる。そう言う中で、自分と言うものをどう発揮して行くか。それを問いかけて行くべきだと思うし、別にスタートではないけど、マイナスからのスタートと言いますか。

結局、相手側も、職業監督や権威のある監督に、あんな台詞は言わないと思う。やはり、自分が表現者としての社会的価値が足りていないんだなと思ったんです。もっと、自分を高めなければなって。

そういう奴が人材育成なんて、はっきり言って語れる資格があるかどうか分からないけど、それも自分と言う人間の社会的責務なんだろうなって、思う。責務等と言うと、嫌なの?と思われるかもしれないけど、そうじゃなくて、自分も先人たちにそうされてきたように、それを還していかなければならない。それが、環のだと思う。