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2002.11.24

制作を担当することになった演劇「黎明」のワークショップオーディションがあった。作の夏井さんも来盛。どんな人が現れるのかなと思ったが、意外と親しみやすい人だった。坂田くんも帰ってきて、ここ二日ぐらい顔を合わせた。

何で、僕が芝居のスタッフをやるかって?普通の芝居のスタッフはやる気はしない。坂田雄平が盛岡で芝居を作るから、参加するのだ。理由はそれだ。KOZを観たときの衝撃。そして、同時に東京から故郷の盛岡にやってきて芝居を作り、あれだけのものをつくる。それは、とても大変なことである。それを少しでもサポートしたいと思い、名乗りを上げた。良いものは、どんどん外に出していかなければならない。

バイトに向かう途中、時間に余裕があったので、中津川に目をやる。水面がきらきらと光る。石垣がある土手とそこに沿って建ち並ぶ古い家屋を観ながら、こういうのを映画で使いたいよな、と思う。僕は、結構古い建物に魅せられることが多い。建物もそうだし、それらが造り出す町並みにも。世に言うノスタルジーな風景というヤツだろうか。と言っても、僕にってはノスタルジーではない。なぜなら、郷愁でもないからだ。そこにあるのが、当然であり、今だからである。幼い頃の風景を主だすという感覚はない。それが、自然なのだ。実際のところ、僕の周りにも、そういう感性に近い連中が多い。若者ならば、もっと近代的なものに憧れなさいと言われるかもしれないが、新しい物に一辺倒ではない。そういう感覚を僕はこの二十年間、盛岡という街で培ってきたのかもしれない。

最近、どんどん中古MFカメラが気になる。そんな中、古いカメラが家から出てきた。と言っても、そんなに格好いいカメラではない。KONICAが世界で初めて出したフラッシュ内蔵のカメラだ。レンジファインダーカメラと言って良いのかねぇ〜。わからんが。電池を取り替えれば、露出計をだましてなんとか使えるので、今度使ってみようかなと思っている。

カメラが気になるのも、そうであるが、実際のところはカメラをぶら下げて、ぶらりと散歩して歩きたいのである。カメラとは、散歩、日常を濃くしてくれる装置である。僕にとっては。