クリエイティブなことは、残酷だ。非情だ。

だから、自分は、底に身を投じ、人生を掛けている。

そして、それによって、溝も、孤独もある。

切ないが、それが実のところなのだ。

作業ができていない。フラステーションが溜まる。これが一番、つらい。

今直ぐではないが、ある程度の準備期間を経て、再びフリーランスに戻ることになった。

この5年ほど、Earth Literacy Program(ELP)の制作活動にフルコミットするという形で、社員所属だったが、これを解いて、元に戻るということに。ELP自体の体制やプロジェクトの体制が、この5年で変わってきて、それに対応すべくという建設的な変化だ。今後のELPのことについては、いずれどこかのタイミングで竹村先生か、私の口から公にすることになると思う。

とは言え、引き続き、ELPからのプロジェクト、例えば、触れる地球などのプロジェクトは関わっていく予定。おそらく、ELP系では、触れる地球とsense-ware系のプロダクトに注力していくことになる。特にも、sense-wall系のプロジェクトは、自分が発案しているプロダクトが多いので、これは、もう自分の代表作を生み出すまで育てなければならない。

この5年の間に、何か大きい賞だとか、代表的な作品を残せているわけではないので、正直言うと、フリーランスでお仕事があるのかしらと不安はあるが、それよりも期待感やものづくりへの飢餓感の方が強い。不安は、不安を払拭するような良い作品を作ればいい。良い作品があれば、うまく行く。まぁ、なんとも楽観的な考え方と思われるかもしれないが、ものづくりは、作品がすべて。だから、緊張感を持って、その作品作りに精進したい。

オフィスも移転することになり、工房機能を持った秘密基地を9月末には、仮で設ける予定。その後の展開は、半年ぐらい、周りの状況を見極めつつ、決めることになりそうだ。

具体的に、つまり名刺が変わる頃に、改めてこの件はアナウンスしたいと思う。

どうも、フリーランスというのは、自分に合っているのかもしれない。と、思う。なぜなら、そういう話にまとまってから、なんだか世の中がとてもポジティブに見えてくる。要は自分次第。そう強く思えるからだ。この時間をどう過ごすのも自分次第。忘れてはいないと思っていたこの感覚だが、しばらくの間に薄まっていたようだ。それを、なんともこの数週間で取り戻した感がある。

9月末から、ノマドなフリーな感じになるので、これまでは声を掛けづらかった方も、気軽にお声を掛けくださればと思う。何かしら、面白いお話はできると思う。

とは言っても、日本社会はフリーランス、個人事業主には厳しいところである。知的武装と、諸先輩たちに教えを請いながら、同士で勉強会とかを出来ればと思っている。

ほら、何だか、昔のアラカワが戻ってきた。ぐへへっ。

この間、評判が良かったのに、今日は35歳ぐらいに間違えられたよ。

大学時代からの友人の結婚式2次会に行く。

ほぼ、盛岡の友人・知人だったから、なんだか盛岡に戻った気分になって、大分良い気分で飲んでしまった。

最近、血縁とか、地縁とか、そういうのを認めるようにしている。

無論、それを超えた縁というのが、あるわけだが。

自分は空っぽであり、フィルターであると、ふと思った。

自分という容器にいれるべき、世界の不思議なことは数多ある。

その不思議なことがらを自分というフィルターがどう魅せられるか。

これが、自分が追い求め無ければならないことなのだ。

最近、進んでいなかったことが、うまく動き出した。

なぜ、この間まで、うまく進まなかったのかと振り返ると、他人に譲歩して、自分のやり方を通していなかったからだったと、気付く。

あまりにも、固執するのは良くないが、自分のやり方を守ることも大事だ。

そもそも、協調というのは共同して調整するものであり、元々の調整すべきものが無ければ意味が無い。

green drinks

greenz主催のgreen drinksに、初めて行ってきた。自分が盛岡でやっていたクリカフェのエコ版のようなパーティーで、最初にゲストトークがあり、open mic.(アピールコーナー)があり、そのあとは、歓談タイムという流れ。今回は、公共空間を遊ぼうということで、公園などでウェディングパーティーを企画したり、イベントを企画している人たちのお話だった。Urban Hacking的な話題が出るのかなと思っていたのだが、そういったネタは無かった。そこが残念だったかな。まだまだ、東京でも、Urban Hacking的なことを仕掛けている人たちは少ないということだろうか。

多種多様な人たちが集まっているにしても、greenというテーマで、これぐらいの人が集まるのだと、感心した。

よく考えれば、なんだかこういうパーティや集まりに、あまりにも顔を出していないなと、少々反省。出れば何かがあるということではないが、何だか自分が硬くなっているなぁとふと思う時が、このところある。ギャーギャーと何かをしたいということではないが。

クリカフェね、と昔のWEBを見たら、最後に開催したのが2005.9.24。この頃は、自分は東京にいたのだろうか、それとも、盛岡と行ったり来たりだったのだろうか。いずれにしても、本格的に東京に移るころに、最後の回を催していたようだ。それから、実に5年ですか。

みんなで集まって決めましょう。というのに、なんだか違和感を感じることがある。確かに、コラボレーションは協議が必要だが、自分はいつも、自問自答の中で決断をしている。とにかく前に前に進んでいるから、走りながら決めている。トップダウンとか、チームプレイは苦手なのですと言われるが、そうではなくて、とにかく前を走っているから、みんなも付いてきてくれる。前を走りきっていない者には、魅力がないのではないだろうか。

答えは自分の中にある。問題なのは、その答えと自分で向き合っているかだ。狂気を感じるぐらい、向き合うことだ。それを人を巻き込んでやってはいけない。なぜならば、最後に決断をするのは自分だから。他人の存在は、相対であるから。

一方で、形とは、絶対と絶対の中における張力によって生まれる相対的なもの。だから、相対が必要であり、他人が必要である。でも、自分の絶対が無ければ、相対もない。

人生、何が起きるかわからない。今年は、本当に、そんな年だ。

30歳を迎え、区切りの年なので、何かしらの覚悟はしていたが、やはり来た。ここまで来ると、大抵のことでは動じなくなってくる。

良いじゃないか。楽しいじゃないか。

一方で、何かしら寂しさも感じる。リスクを恐れるのは、ベストを尽くしていないからだ。最善の努力をすれば、そこにはリスクはない。

潮風も交じる夜風に吹かれながら、まだまだ続く冒険劇に想いを馳せる。

盛岡の講演、正式アナウンスになりました。8/4です。

http://kilkhor.cc.iwate-u.ac.jp/anai/net2010s/index.html

Sense-ware Design Laboratoryの立ち上げに向けて。

金曜日は、文字の話に惹かれながらも、内田先生の講義を受けに、桑沢デザイン研究所へ。意外にも、オフィスから水無橋を渡り、神南方面に抜けるのは初めてだったので、新鮮だった。

改めて、「弱さ」のデザインの素晴らしさを考えさせられる。とても共鳴し、惹かれるのはこういったデザインの方向性である。多くのものが変幻の相の中にあると捉え、変容し続けることを前提としたデザインが必要だ。近年、情報社会が進むに連れ、本来ならば、変容し続ける情報の有り様に合わせたデザインが生まれるべきだったのに、実はそうではなかった。むしろ、情報を囲い込む様な檻をつくることが主流になっている。

曖昧さは、ごまかしではない。その曖昧さの中にあるものを捉えるのは、認知力の拡張であり、大きな想像力を求める。人類なのか、日本人なのか、それはわからないが、想像力を失ってきていることは確か。再び、それを取り戻すにも、「弱い」、もろい、かげろうものをインタフェースとする必要がある。

そういう意味で、内田先生が仰っていた、言語が登場する前の記憶に訴えかける前文化的デザインというのが、大きな鍵になるのだろう。

上の空、いやいや、空をいつも見上げている男をバカにしてはいけない。

土曜日。ひたすら、デザインスクラップをつくる。それにしても、Youtubeというのは、恐ろしい貯蔵庫だ。

日曜日。会場のプロジェクションチェックを行う。結果は良くも悪くも。考慮すべきところが多い。

今日は、だくだくと汗をかきながら歩き、様々な妄想を経て、最終的な境地に至る。無いならば無いで、有るところで工夫をすべし。それが、創造なのかもしれない。