Powered by
Movable Type

2005.04.18

対価

はてな FLASHのアクションスクリプトのプログラマの費用算出方法ってどういう割り出し方が考えられるでしょうか?サーバ←→FLASH間のやり取りも含む

自分の仕事に対する対価といいますか、見積もり&請求って悩むんですが、こんなやりとりを発見。うぅーむ。さほど、間違ってはいなかったか、何だかな。でも、これってコーディング料と言うことなわけで、付加価値的なところまでの話ではないですね。

結局のところ、その付加価値といいますか、どんなインタラクティブ性を考えたデザインであるかのところで、自分は勝負したいと思うのですが、そうは世の中行かないものなんでしょうか。

そんな中ではありますが、父親の一言は守り通しているつもりです。「技術は安く売るな」。一度、値が崩れてしまったら、取り戻しがきかない。それが、自分だけができること、「技術」であるわけで、これに関しては譲ってはいけないと。特に、それが無形ならばなおさら。

桜前線をくぐり抜ける

sakura scapeをアップデート。かなり細かい内部的アップデートですが、大事なアップデートを施す。

本日は福島あたりにも、さくらドットが!そうか、ここまで北上してきたか…と思ったが、実は、今日は岩手から東京まで南下しているわけだから、気付かないところで桜前線を突破したことになる。と言っても、新幹線に乗っているときには気付かず。

地球のどこかには、晴れの場所と雨の場所があって、そこにはきっと分かれ目があるはず。あ、雨が降ってきたと思った瞬間には、その区切りは、すでに自分のいる場所を過ぎていて、意識の世界でしか認識できない。雲に切れ間があるように、きっと晴れと雨の間もあるはずだと。でも、その境界線を引けることはないのかもしれない。

言われてみれば、心が晴れるとか、沈んでいるとか、その境界線も曖昧だな。あぁ、今日はダメだぁと思っていても、何かの拍子に軽やかな気分になっている。気が付かないうちに、雨から晴れに転じている。その逆も、あるわけで。

そもそも、境界線なんてあるのだろうか。どんどんズームしていけば、境界線は境界線ではなくなっていく。解像度が上がれば、境界線は境界線としてではなく、何かの色の変化でしかなくなるのかも。

解像度を上げろ!

と、日本海側での騒ぎについても、思う。

性(さが)

久しぶりに、東京に戻ってきた。丸の内で打ち合わせをして、有楽町経由で六本木に行ったのだが、さすがに六本木はくらくら。だけども、東京部屋への帰りの電車は、あぁ、これこれといつもの日常の様に感じられる。不思議な話だが、盛岡と東京を行き来するたびに、東京に自分の居場所を感じる様な気がしてくる。クリエイタとしての存在価値というか、そういうのを認めてくれる街が今の自分にとって、自分をそこに確実に置けるのかなと思う。

それにしても、性(さが)といいますか、やっぱり自分は、自分の手を動かして、うぉりゃーと作っている方がしっくり来る。先週は、全然仕事をしていなかったので、禁断症状が出てくる。禁断症状というか、いろんなものが自分の中で溜まってきて、それを出していかないと何とも気持ち悪いというか、息苦しくなってくる。

いろいろあるプロジェクトでも、自分の立ち位置が不安定なプロジェクトは、何ともしっくり来ない。しっくり来る様にしなければならないのだが。

開発用サーバのメモリを少し増強。HDDも増やして、いろいろ自由にできる感じになってきた。