昨日ぐらいに、「桜山の地図」という習作をアップした。

今、盛岡で一番ホットな話題と言えば、桜山神社界隈の商店街を取り壊す盛岡市の計画が急浮上した問題。盛岡市の計画では、昭和レトロな雰囲気を残す商店街を取り壊し、お土産屋を主とする盛岡城の勘定所跡を再現した施設を建設する予定らしい。これに、商店街を始め市民からちょっと待った!の声が噴出し、今署名運動に至っている。

こういう話、元がわかっていないと、何にもわからないので、まずは盛岡城が今の盛岡市街地にどのようにあったのかを知りたいと思い、知人から古地図を送ってもらって、現在の地図(Google Maps)に重ねてみた。

親から桜山神社界隈の池は、お堀の名残だと聞いていたが、まさしくそうなのだと言うことが一目瞭然でわかる。確かに、桜山神社界隈のお店が建ち並ぶところは、勘定所跡地だったようだ。ちなみに、桜山神社自体は城内跡から移っている。

この地図を重ねながら、長年疑問だったことが一つわかった。教育会館の裏の道は、他の道と違って斜めに走っていて、昔からなんでこんな効率の悪い道の通し方をしているのだろうかと思っていたら、これは、盛岡城の土塁の名残のようで、そのまま今も道路として残っているのだ。加えて、その道から西側、つまり今の菜園あたりは、北上古川が流れていて、昔の風景は大分違ったようだ。

この斜め道が、実は、街の形成の有り様を現しているような気もする。街のかたちというのは、流れを持つもので、どこかで断絶されて良いものではないと思う。名残というものを持ちながら、移り変わっていくべきものである。桜山神社界隈を更地にして、駐車場をつくって、資料が残っていないのに建物を復元しても、それは断絶された空間であり、空虚な存在にしかならないのではないだろうか。

その街らしさというのは、つくられた「城下町らしさ」ではなく、城下町の名残を残し歩んできた街の顔である。本町あたりの辻が少々入り組んでいるのも、それはすべて城下町特有のものである。その入り組んだ辻であるからこそ、人の動きや車の動きがスローになり、コミュニケーションが生まれたりもする。

平面的に、都市構造を捉えないで、多層的に、時層的に街を捉えて欲しい。と、そう思うのだ。

だいたい、予算的にも、法的にも、盛岡城のすべてを復元することは難しい。冗談半分で言っているのだが、いっそのこと、産学官で協力して、3DCGで盛岡城を復元し、ARで見られるようにしたらいいのだと思う。今の盛岡のまち並みといにしえの姿を重ねながら、散策を満喫できるじゃないか。中途半端な復元よりも、大分良いと思うが。

それで、習作としては、Google Mapsに古地図などの別な地図を載せる術をいろいろ身に付けた。投影方法が違う地図なので、やはりズレが発生する。専用ソフトを使うとそのあたりは解消されるようだが。一枚のオリジナル地図からGoogle Mapsみたいにタイル化してくれる変換ソフトもオープンソースで出ている。なかなか、便利になっているようだ。