気が付くと三月も終わりかけてる。

まぁ、満月ということで。

あっという間に一週間が過ぎる。妄想は多いのだが。

最近、ますますと自分は他のみなさんと価値観が異なるのだと思う。そう、素直に思えることは、とても気が楽なことだ。

なぜ、学校って、あそこまで画一的な価値観を植え付けようとしていたのだろうか。

最近、あの四角い校舎に思うことがある。

だいたい、こういう感じだよな。という状態を探す。

もしかしたら、「だいたい」というより、「これだなぁ」という納得が必要なのかかもしれない。

何となく、予定調和というものなのか。

予定調和というと、一般的にはあまり良いイメージが持たれないが、ものの持つ自然なかたちは、調和の中にある。だから、ある意味台本通りかもしれない。

だが、その予定調和をなかなか見出せない。だから、悩ましい。

刺激的なものも、実は調和の上に立つていたりする。整えられているからこそ、刺激が異分子として目立つ。ざらつく。

自然、和って何ですか。

気が付いたら一週間があっという間に過ぎていた。年度末納品というのは大変だったのだと、改めて思う。

ユーザインタフェースというのは、勉強と研究の積み重ねなのだと、今当たっているデザインワークを見つめながら思う。

より高い巨人の肩を求めつつ、その上により高い塔を築かなければならない。

最近、現行で原人だとか、人類の祖先の標本やら復元の顔を見ていると、自分たちの存在は、綿々と続く系の中にあるということを再認識させられる。その系をどう捉えるか。

系。もう、何かを、単体や静止物として捉えるかことはできないではないか。流転するとして、鼻から捉えるしかない。

だって、今の瞬間も、私の細胞は入れ替わっているのだから。

別れの季節。

また、一人東京を去る者が。

まぁ、意外とおセンチにはならない。

自分自身が東京に想い入れが薄いからだかろうか。東京って、「機能」だと思う。何かをする為の手段としての街なのだろう。自分の中では。

だから、好き放題やって、バーチャル化していくのか。

一方で、Twitterで村を求める。

心の中では村を求めるのに、行動はそれに乖離して行く。だから、分離している街、東京が丁度良いのか。

達成感は審美眼を曇らせる。

だから時間が必要なのか。

今日の地球大学のゲスト講師は、アル・ゴアの「不都合な真実」の訳者としても知られる枝廣さんだった。とてもスマートな内容だった。温暖化懐疑論者と、どう向き合うかという話しは興味深かった。

「ふつう」は普通には生まれない。

今週は、失態のリカバー。

それでも、得るものは大きい。

セミナーで、新しいフランス大使館に行く。あんまり、自分のフランス像とは違う感じの建物だった。きれいですね、新しいですね、という程度の。ただし、ミーティングスペースのペインティングは、フランスっぽいというか、アートに理解がある国の大使館だなぁという現代風の好印象の作品だった。ああいう遊び心は、日本の大使館にもあるのだろうか。