初夏に催した「触れる地球」展のポートフォリオビデオをYouTubeにアップした。その他にも、昨年のG8洞爺湖サミットの映像もアップしているので、ぜひ、御覧ください。

いろいろと解説もしたいところですが、取り急ぎで。

自分たちは、大きな流れの中で生きている。歪むことがあっても、逆にさかのぼることがあっても、間違いなく、自分たちは時という流れの中にたゆたう存在である。

時という流れは、様々な大きさを持っていて、そのいくつも積層し、または並走する。その中で、自分たちは、その流れの波を受け取りながら生きている、もしくは踊らされている。

新しい技術、表現方法習得ということで、Quartz Composerを覚える。Macに無料でついて来る映像制作環境なのだが、非常にパワフルなツールだ。MAX/MSPの様にパッチを繋いで、映像をリアルタイムに生成してくツールで、MacのGPUをネイティブに用いるから奇麗な表現をストレス無く手に入れることができる。

このQuartz Composerでアニメーションをつくるときに、Clockという概念が入ってくる。つまり、作品全体に一つのクロックがあり、このクロックがsin波、cos波生成の元になり、この値がアニメーションの動きの基本となる。一つの時の流れが、作品の細部の動きまでに影響を与えるというわけだ。作品の中に、時の流れを仕込むというのに、ハッとさせれらた。

普段だと、サーバのやり取りやユーザの操作によって、アニメーションが動き出すというような処理をすることが多い。作品全体のリズム、流れの中に、こういったインタラクションを埋め込むということを忘れていた様な気がして、改めて勉強になった。

今日、聞いた話で興味深かったのが、極地に行くと時の感覚が薄まり、身体的にも変化が起き、女性においては月経が止まったりするらしい。人というのは、何かしら、大きな時の流れを体で感じ取り、小さなときの流れを個々でつくり出しているのかもしれない。

そう考えると、作品、プロダクトのクロックが、大きな時の流れとシンクロして稼働するというのは、当然であり、自然なことなのかもしれない。

そのシンクロを断絶しようとする無理が起きるのかもしれない。20世紀は、その無理を知らずに突き進んだ世紀。21世紀は、そのシンクロを認知し、その中にたゆたう世紀にしなければならない。

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