12月
26
気が付いたら1週間か。
なにか大事があったというわけでもないのに、何だか忙しく時は過ぎていく。
「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」を読んだ。アメリカ人から捉えたインターネットサービスの無料か有料かの話ではあるが(思うに、日本のインターネットはちょっとガラパゴスだと思う。ケータイサイトとか)、インターネット上のサービスの在り方を再認識できる良い本だ。自分の手元にあるサービスを惜しまずに、世に出すことと、それをどうビジネスにつなげていくか、そういったことを考えることができる。自分の場合、作品やインスタレーション企画でサービス的なものを立ち上げるが、それをイベントリーではなく、日常的なサービスに落としこんでいけるか。これは、課題点。
この本での重要な指摘は、アトム経済とビット経済の違い。この経済の違いをきちんと捉えられているかが、分かれ目だ。これは、デザインにもいえること。デザインを駆動させるには、この感覚を持っていなければならない。
最初の2/3は、フリーサービスの歴史とか思想が語られているので、最後の1/3を読んじゃっても良いかも。
12月
20
ひたすら勉強をする。
ちょっとは、体に取り憑いていたものが落ちたよう気がする。定期的に、こういう時間を持たねば。
潔さ。
印刷物としての潔さ。デジタルコンテンツとしての潔さ。手描きの潔さ。
ことには、潔さが必要である。潔さとは、それ自体の良さをきちんと認識して、所作や行動を持たせることである。演じさせても、それは張り子である。
下手な映画より怖い。
GoPro HD HERO Camera: Base Jump Movie from GoPro on Vimeo.
巻頭特集で取り上げられていたJACK SPADEの元デザイナが、日本人と結婚して日本で活動しているらしい。ここのバッグを買ったときに、素敵なカードが付いてきたのが印象的だった。この人の作品だろうか。京橋にショップがあるらしい。
名刺を新調したいので、読み読み。
あと、取り上げられていた昔からのざら紙への印刷方法とかが気になった。
12月
19
心身ともに、硬直気味。
降雪のニュースを見ると、なんだかひかれる。
12月
18
SIGGRAPH ASIAのArt Galleryを見たくて、横浜に行く。インタラクティブな作品展示があんまり無かったのが、残念。きっと、本家の方は違うんだろうなと思いつつ、行く電車の中での妄想を再確認する。
パシフィコ横浜周辺の建物は、変なのが多い。何だか、帝国軍に奪取されたような雰囲気。赤レンガ倉庫エリアとは、また趣が違う。
12月
17
なぜか、昼からノンアルコールで鍋を食べる。意外と健康的。
12月
14
今日も、大いに期待を裏切られて帰ってくる。自分は、そこに何を求めていたのか、改めて問い直す。奇しくも、自分の立ち位置がまた一つ鮮明に。
表参道の裏を久しぶりに歩く。何となく、空いている物件が多いような気がする。気のせいか。
生成物が生成したものは、生成物としてアートなのか、どうなのか。アルゴリズムを書いた者が、その、生成者のような気がするが。
12月
12
先月辺りから知ったのだが、毎週水曜日、東京MXTVで「水曜どうでしょう」をやっている。10年以上前のテレビ番組が、普通に放送されているのだから、あの番組の素晴らしい程のいい加減さを改めて感じられる、貴重な時間だ。「水曜どうでしょう」って、ある意味、学生から卒業してまだ盛岡にいた自分にとっては、ヒーロー的な存在だった。地方でも、中央に通用するコンテンツを作れるんだ!と夢を持たせてくれた。低予算で、タレントもスタッフも地方だけど、やればできる!と何だかとても可能性というか、「夢」があった。俺にもできるかも、という期待感があった。
でも、それは違っていたんだなと、今になって教わった。
サイゾーに、「水曜どうでしょう」のミスターのインタビューが掲載されたいた。「水曜どうでしょう」は、地方におけるニッチであって、東京の、メジャーの何かではなかった、ということだったのだ。
ここ最近、友人から、アラカワは盛岡はもういいのか?とか、盛岡には帰らないの?と聞かれるのだが、正直、帰省はするが、帰る気にはなれない。なぜなら、そこに自分の居場所が無い。東京にも、居場所があるのかどうなのか、最近、わからなくなってきているのに、ましてや盛岡には自分の活動の場は無い。
自分が目指しているのは、地方におけるニッチではない。つまり、「地方だからこそ…」という修飾はなくて、自分が求めているのは、メインストリームなのだなと。(メインストリームって、何さという議論は置いておいて)
自分をよく知る友人が「アラカワはいい意味で根無し草だから」と言ってくれたことがある。当時、盛岡、もりおか、モリオカと言っていた自分には、ピンと来なかったのだが、今だとわかる。そこにいるべきという「意味の重要性」だ。
確かにひかれる。すぐそこに、きれいな川や山があるような自然環境は、良いなって。でも、何だか違うなって。自分が、生かされている強い流れは、今はそこには無いなと。それだけでは、意味にはならないなと。
こういう風に思うようになったのには、呪縛から解放され、また新たな呪縛に繋がれようとしているからなのかもしれない。
とか言いつつ、いろんな事情が重なって、戻るときはあるかもしれないが、ハッキリ言う。「負け犬」になっては帰らないさ。やるんだったら、本気で、地方のニッチ、日本のニッチをやるさ。あの反面教師たちと一緒にはなりたくない。
という、葛藤の中にいる。
12月
11
ボタン一個に半日が潰れた。そんな日もある。
2,3週間かかると言われたカメラが、1週間で戻ってきた。いい加減だな。
カメラ屋で触ってしまった。確かに、惹かれる。誰か、僕の靴下の中に入れてくれないかな。
資生堂デザインが良い。ああ言う品は、一日にして成らずなのだろう。だから、作り手としても憧れてしまう。資料として、手元においておくべき一冊。
12月
10
筆が止まるぐらいの日々。
という、言い訳です。
COP15が催されているコペンハーゲンにて、触れる地球が展示されており、自分が演出したコンテンツが展示されています。気が付けば、小さいですが、初の海外公開です。
12月
3

最近、めっぽう寒い。気がつけば、東京のイチョウの木も、きれいな黄色になっている。写真は、東大のイチョウ並木。そういえば、恵比寿のイチョウもきれいだったな。日に日に、冬の訪れを感じる。
と言いつつも、雪が積もらない山でスキー場開きだとか、切ない話も伝わってくる。
実家からりんごが届く。シャキッとしたあの触感が、なんとなく冬の肌感覚を呼び起こしてくれる。
メールでみんなの近況などを聞く。いろいろあるもんだと思いつつ、みんな元気そうなので何よりだ。気になる話も、二、三、聞くが。
