朝8時ぐらいに、近所の投票所に行く。列が出来ていて驚いた。最終の投票率を見て、納得。

研究実装の改良がうまくいかない。手法を変えようと思うが、心身とも尽きる。とは言っても、見たい風景は見られそうだ。

民主主義の変わり目。

「まるで日本じゃない様な…」

「○○(国名)にいる様な雰囲気で…」

と勧められて、何だか、辟易としてきた。

どう、がんばったって、ここ日本だから、あなたも自分も、日本人だから。

今日は、形状美で涙した。

日本の形状美、様式美の根源を遡り、学ぶ必要がある。

それは、曲線なのか、直線なのかという単元論ではない。その曲線美、直線美の生まれるプロセスを理解する必要があるが、それは、手仕事であり手の感触であると考えると、それは高度なアルゴリズムであって、それを数理的に捉えられるのか、いささか疑問を感じてしまう。

しかしながら、その曲線美、直線美をグローバルに捉えるとどうなるのか。グローバルに捉えたところで、ローカルな独特の美を再認識できるのだとしたら、ノミの大ジャンプが必要だ。

乳房の曲線美は永遠なり。

ふと思えば、直線は曲線に包含される一つの形状に過ぎなくて、それは曲線美に包含される美なのかもしれない。

ディレクターワークの遅れを取り戻す。

鬼と天使にならなければ。

最近、結婚式の招待状がよく届く。あぁ、めでたい。空中で3回転ぐらいしそうだ。

そういう時期なのでしょうか。

今日のゲリラ豪雨にはやられた。(豪雨って、ごううと書くのね)地下鉄の出口で、十数分足止めされた。日本の東南アジア化は、進んでいるなぁ。

東京に住んでいると、GoogleMapsで街の細部まで見ることは当然のように思っているが、地方では、そうもいかない。

ピクチャ 2

盛岡市内を走る循環バス「でんでんむし」のコースをGoogle Maps on Flashにプロッティングし、地図モードを航空写真にすると、こんな感じになる。地図が灰色になっているのは、高解像度の航空写真がまだGoogleより配信されていないためである。盛岡は市街地でも解像度が低いのだ。

情報を可視化すると言う意味において、これは残念なことであるし、懸念すべきことである。まだまだ、地方の情報デバイドは、こういった形でもあるのだなと、改めて感じた。

データをブラウジングするためのインターフェイスをああでもない、こうでもないと考えていたが、いっこうとしっくりとこない。この形なのか、あの形なのか。

はて、情報には、そもそも、この情報には形というものがあったのだろうかと、原点に戻るような問いかけが、一日の終わりにやってきた。

その瞬間、かげろいの様に溶けていった。いくつかのひかりを引き連れて。

かたち無きものを押し固めても、ただただ息苦しいだけ。拡散しないように、ほんのちょっとの引力を与えるだけで良いのかもしれない。

溶解。

すべてをリセットすると、奇形すらも自然なのかもしれない。

妖怪。

そもそも、すべてのものには、一定の形はないのだから。

朦朧研究は、時間がうまくとれず、進捗なし。

昨日、昨日と気が付けば近代建築巡り。

隅田川の灯籠流しを見るが、夏の終わりは盛岡の「舟っこ流し」が良い。短かくも、暑い夏の最後を飾る、普段の盛岡にはない、あの激しく燃え上がる舟たちが何とも切なさを感じさせる。赤く焼き焦げ、暮れていく空とあいまって。

決めましたよ。cocoa、やりますよ。

気が付いたら2週間強、更新していなかった。

先週までは、新プロジェクトのための技術検証と新開発環境の調査を進めいていた。技術検証はいろいろと苦しんだものの、成果が見えて来た。予想より、1週間ぐらい超過してしまったので、実制作をまいてがんばらないと。新開発環境は、未だ答えが見えない。ひとまず、置いておいて、詳しい方に相談しにいこうと思っている。グラフィック系が強い環境になるとネットワーク系を結構がんばらないといけないし、その逆も。Flashはなんやかんやでうまく出来ていると改めて評価した。

今週は、山積みになっていた研究課題にあたる。積ん読していた資料を開きながら、横断的に、斜めにと目を通す。と言っても、収集している資料が溜まる一方であるし、インプットしなければならない事柄がまだまだ多い。

思うに、技術検証という進んでいるのだか、進んでいないのかわからない様な作業を経つつ、研究課題にあたっていると、何かうグゥーと生まれる瞬間が近いことを感じることが多い。今そのときである。

この1ヶ月ぐらいだろうか、また、何か道が見えてきた様な気がしている。

近所は、お祭りが近いので、提灯が飾られたり、お囃子のBGMが商店街で流れるなど、夏の風物詩アンビエント。

そういえば、KCが結婚したらしい。おめでとう。