先人のお言葉。

「何が幸せかわからないです。本当にどんなに辛いことでもそれが正しい道を進む中の出来事なら、峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから。」

宮澤賢治

長谷川さんの会社サイトのタイトルが興味深い。
株式会社コンセント|Web時代の設計事務所

長谷川さんは、情報アーキテクトとしてWEBに携わられているので、こういうネーミングはなるほどと思う。

さて、自分は、WEB時代の何と名乗ろうか、いろいろと考えさせられる。

新しい分野で活動していると、自分をどういう肩書きで名乗ろうかというのは、常日頃、考えてさせられる問題である。自分が活動している分野から、他分野へ投射し、それがどこに指し示されるか。自分を「肩書き」で表現するうえで、重要な指針かもしれない。そう考えると、たまに見かける情報デザイナとかというのは、ぼやけているし、自分の名刺に書いてある「インタラクティブメディアデザイナ」というのも、はっきりしない。

Web時代の工芸作家、んー違うな、民藝運動家、これは怒られそう、エロペテン師、んー三割ぐらい納得。と、ぼやぼやと考えています。セクシィー部長に相談したい。

最近の宿題と言えば、我がプロフィールの更新。先日、お問い合わせのメールを頂いて、最近の作品が気になりましてとお話しを聞いたのだが、サイトのプロフィールを見たら、2008年の部分が全然更新されていない。これは、問題だと思いつつ…お恥ずかしい。

恐らく、来週には、いろいろと載せられると思うのですが。

来週は、チャリ復活祭をしたい。

仕事を抜け出して、the dark knightを観に行く。あれは、おすすめ。

ねじを…と言っていたら、本当にねじをきつく巻くことに、いやゼンマイを巻くことになり、当分、休み無しだなと思い始めてきた、今日この頃。

yashica.jp

ヤシカだと言われても、どうなのでしょう…。

近くに敬老すべき方がいないので、敬老と言われても、何を祝うべきか…。

ということで、朝から自主研究と仕事をする。

だいたい、日本人、中途半端に休み過ぎなんじゃい。

しかし、敬老と言われて嬉しくなるのはいくつからなのだろうか。なかなか、そういうガイドラインが見えづらい。下手に祝って、気分を害されても…。やはり、孫ができると別なのだろうか。

浴衣をギリギリでクリーニングに出す。夏は過ぎていった。

少々、8月は遊び呆け過ぎた。7月の仕事と夏休みの後遺症が残っていたようだが、9月からはそうも言っていられない。ねじを巻き直していかなければ。

新しいMacBookはいつですか。それが気になってしょうが無い。

911が過ぎた。当時の映像を見ると既に過去の事件のように思えてくるが、未だにアメリカと彼らが敵と言う人々は戦争を続けている。加えて、日本も、彼らに物資を運んでいる。

911の衝撃は、ご多分に漏れず、自分も受けた。飛行機がビルに激突していったという話を聞き、感じた、あの良い知れぬ恐怖。その日から、自分たちを含めて、世に何をする術も持っていない若者は、どうしたらいいのだろうと自問自答を続け、ある者は現地に渡り、ある者はデモを加わったりと。

自分は、なぜか映画を作り始めた。自分ごときが現地に行って何かをしたり、どこかでデモ行進しても、世の中の何の足しにもならないと思ったから。

ならば、今、自分が一番、周りにインパクトを与えられることをしようと動いた。

とはいえ、反戦映画なんか作らなかった。自分の家族、街を大切にして生きている人々を描いた映画を仲間たちと作った。そういうことの積み重ねが世を作り、無関心によって生んだ悲劇が無くなっていくのだと思ったからだ。戦争という表層にとらわれては行けない、戦争を生む種は自分たちの身近にある、そう思ったのだ。

僕らがそうやって動いたプロセスが、回りに何か残したのではないかと今でも思っている。あんまり、そういう風に語ったことは無いが、その当時もそう考え、今改めて言うとするならば、そういう映画であり、運動だったのだと「戸ノ岡物語」について思うのだ。

先日、サステナのマエキタさんがスピーチの中で、ジョナサン・バーンブルックのメッセージ性の強い作品を紹介してくださった。911をモチーフにしたり、今のグロバリゼーションの問題点を突いた作品など、グラフィックデザインを通して、彼は今の世界に対して強い社会的なメッセージを送っている。彼については、ここに詳しい。

デザインの責任。デザイナーの責任。と言われるが、デザインと言う職能を持っていると自負するならば、それにおいて、社会に、世界に、どう貢献していくか。または、自分の生活とその周辺に関わっていくかが大切だ。

自分も、バーンブルック氏の様な刺激的な作品を作ってみたいという思いもあるが、一方で、もうちょっと斜めに構えた、もっと平和的な作品も合っても良いのではないかと思う。ELPの代表作に、aqua-scapeというのがある。竹村先生曰く、マイクやライブカメラが繋がっている現地の様子を毎日知っていたら、本当に、そこにミサイルを撃ち込めるだろうか。

塞がれた耳と目を開けてもらうのも、デザインにとって一つの役目なのかもしれない。自分はそこから見えてくるものを、称して「新しい情報の風景」と読んでいる。そこにどんな光が射し、どんな風が流れ、匂い立つものがあるか。

今年ほど、社会に問いかけるデザイナーとは、どうあるべきかを考えたことは無い。

声は高らかに。そして、その声と言葉は、美しくなければならない。

あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8)あんぱんまん、だったのね。そして、その手と顔が少々怖い。

東京も、秋風が吹いてきた。

何だか、もりもりな日々になってきた。

明日は、911。何が変わって、何が相変わらずなのでしょうか。

手元に、Adobeのステッカーが2枚。率先して貼ろうと思わないのだが、何だか、増えていきそう。最近、そういうところに顔を出しているからだろうか。

加えて、Adobeのおねぇさんの姿を1週間に2回も。

何かを売り込むとか、啓蒙すると言うのは、とにかくフットワークなのだなと、思う今日この頃。

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