今月は、あっという間に過ぎた。なんだか、記憶の濃淡がある。

仕事が流れては、復活し、そしてまた流れて、別な形に変わりつつ、流れて、また戻って来る。

「復活」がある度に、新しい制約に応えるべく考え続ける。

出しても、次々と課題が降って来る。それはまるで、デザイン道場。

そんな感じだろうか。といっても、今日で30日。あと20日程度。どうなるのでしょう。

どこかに出かけた日の夜、デジカメのメモリを見て驚くことがある。思いがけないうちに、撮ったその写真の枚数は100枚以上も超えていることが…。こんなにとって、必要なのかとその枚数を無駄に思うこともあるが、後から「こんなところもあったか」と写真を見返して、忘れかけていた記憶を思い出すことも多い。

なんだか、 思い出を自分の脳に記憶をおさめるというよりは、表現はSFチックだが、既に僕らは外部記憶装置、つまり外部脳にしまい込み始めているような気がする。圧倒的な情報量の中、深くは記憶せず、その記憶のインデックスを保持し、そのインデックスから記憶を探って、自分の体験、経験をリンクさせていき、記憶、思い出を自分の脳にしまい込んでいる気になっているのかもしれない。

バタフライ・エフェクト プレミアム・エディションこの映画、「バタフライ・エフェクト」の劇中で重要な鍵となる主人公の日記。情緒不安定で時折、記憶を無くす幼少の主人公に対して、精神科医が日記を書くことで一日を振り返り記憶を強く刻むことができると勧められ、主人公は日々の事柄、思うことを日記に綴り始める。しかしながら、それは記憶をつなぎ止めるものであり、本質的に彼の中に意識として記憶は残ってはいかず、日記は彼の脳の中で失われたはずの記憶を引き出す「インデックス」と化していく。

彼にとって、日記を書くということは、外部脳に、記憶を預けるという行為だったのかもしれない。(本質的には、記憶は彼の脳の中にあることにはかわらず、ただその記憶を引き出すためのトリガー、参照元として日記が存在している)

最後に主人公は、自らが書いた日記を失っても記憶を取り戻すことに挑む。それは、8mmフィルム。もう、そこには僕らの現実があるような気がする。

圧倒的な情報量の中で、僕らはすべてを記憶するのではなくて、その事柄の特徴を覚え、それをインッデクス化して、自分の意識の中にとどめて置く。そして、それ以外は忘れたフリをする。

外部脳は、僕らの思考や体験を拡張するものなのか。それとも、退化させるものなのか。馬鹿な使い方をすれば、おそらく、それは退化につながるのだろう。では、拡張するための使い方とは何なのか。

「こと」のインデックス化、データベース化が進む中で、いったい僕らは、どのようにインデックスを保持し、その参照先を持つのか。

今日、久々にDuftPankを聞きながら、「機械人間か」と思ったのが、鉄郎の様に強く請わなくても、既に僕らの脳は外部脳という考えで行くと、意外と電子化が進み、サイボーグ化が進んでいるのかも。

「あんバター」が「あんマーガリン」に−福田パン、バター価格高騰を受け - 盛岡経済新聞

 福田パン(盛岡市長田町、TEL 019-697-8400)は今月から、人気商品「あんバター」の商品名を「あんマーガリン」に変更した。正式名称は「あんマーガリンサンド」

 名称変更は、同品の原材料として使用していたバターが、このところの品薄と価格が高騰の影響をもろに受けたため。原料をマーガリンに変えることで、原価に吸収し商品価格を維持したという。

「あんバター」じゃなくなるんだ。

個人的には、東京の近所でも、福田パンみたいなパンが欲しい。福田パンを1個食べれば、午後は持つ。

HEROES / ヒーローズ DVD-BOX 1SPECIALであるということの前に、自分が大きな流れの中でどのように存在しているか。一方で、大きな流れの中においても、個としての存在として、どのように周りと生きていくか。

ひぃーと言っている割には、HEROESを観終わった。超能力者の話と見せかけつつも、家族愛をテーマにした、なかなか旨い脚本。ヒロ・ナカムラ、カッコいいな。ちょっと、途中から村上隆似だけど。

腐る暇もない。とは、こういうことか。

週末に、いろいろと観に行く。おすすめなのが、国立新美術館のモディリアーニ展とAXISギャラリーの「チャールズ・イームズ写真展」。

モディリアーニは、言わずとも、その肖像が素晴らしい。なんだか、ああいう細長の形状とすっきりとした配色が好きだ。

チャールズ・イームズ展は、写真もきれいだが、同時に展示されている彼の言葉が素晴らしい。読んでいると、うなずいてしまう言葉から、日頃の自分のデザインワークを思い返し笑ってしまう言葉まで。ものづくりな人には、ぜひ足を運んで欲しい。その100の言葉に考えさせられる。

写真よりスケッチなのかなと絵が下手な自分は劣等感があったのだけど、写真はやはり重要なんだと、チャールズに教えられた。

プロトタイプを妄想し、溜まっているものを発散。ものを揃えてみたところで、やはり大変だと気付き、ちょっとエスケープ。

「静けさ」と「質素」

とりわけ、「質素」であるというところに美を見出した日本文化は素晴らしい。そして、これからの21世紀に大きな指針となる。少なくとも、これを忘れていなかったら、20世紀の愚行は無かった。

と、鬼気迫る表情で語る姿。

目頭が熱くなる。

日本に生まれてしまったから日本のデザイン。ということではない、日本のデザインへの評価が求められている。これをいかに内へ明快に持てるか。これが、自分の外へのアピールの強さになる。

んぐぅ…。と、言葉には出さない様にしつつ、耐えに耐え。

ストレスなのでしょうか、今日は何回もキレそうになりました。でも、それはそれで我慢を。

とは言っても、そのうち、凝り固まったものになってしまいそう。どこかでほぐさなければ。

I'm Not Thereホフディランでボブ・ディランを知った様な自分ですが、ボブ・ディランの半生を描いた”I’m not there”を観てきた。とにかく不思議な構成の旨い映画だった。監督、すごいな。個人的には、好きなケイト・ブランシェットのディランぶり、シャルロット・ゲンズブールの哀愁に感服でした。待てよ、ああいうのって哀愁というんだよな。別な表現もある様な気がするが、影のある愛らしさと言いますか。加えて、Helveticaのタイポと劇中に出てきたFIATが良かった。ミニシアター系好きとディラン好きにはおすすめ。

ZAKZAK
 都内の15歳〜34歳を対象にしたもので、「自室からほとんど出ない」「自分の趣味に関する用事のときだけ外出する」などの状態を引きこもり群と判断。都内に少なくとも2万5000人以上いると推計した。

ひきこもりを全否定するわけではないが、こういう方々が生活できる東京という都市に怖さを感じる。

噂のFacebookに入ってみた。

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