11月
30
隣の芝生は青く見える
と言いますが、そのように思うことがしばしばあった一週間だった。頬をつねって我に戻り、その可能性を持った自分の庭いじりをえっさえっさと。
てくりの新号が出ましたね。近くのABCで売っているのだが、買いにいけないぐらいの机に張り付き状態。久々に、セクシィィィなものをほぼ一人で作っています。今のところ、「ィ」が3個。あと2個足せるように、引き続き精進。
個人的には、マニュアル化されたファーストフード店というのは、そのオペレーションの一律性から品質に関してはある程度の信用を持っていたのですが、どうも、そうではないようで。オーナによっては、今回のマクドの様なことも行われている訳だ。食に関して何を信じたら良いのか。この間まで、段ボール入り肉まんで騒いでいたのは滑稽だ。自国の足下の食が危険なのだから。
これからの時代を生き残るには、胃腸の強化と解毒能力の高い内蔵の育成が必要だ。と思ってしまう。
食の危険というよりはモラルのだろう。確かに、賞味期限という短命で廃棄される食べ物はもったいない。しかし、食べる側との信頼関係を裏切られては困る。賞味期限が切れた後の食材を再利用すると言うことをなぜ考えないのか。説明があり、二次加工して再度店頭に置いてあったら誰も何も言わない。だって、スーパーのお惣菜って、そういうものが多いでしょ。それと同じように、また調理したり加工したりすれば良いし、他のものの原料にだって転用できるはず。
消化系の前に、想像力が必要なのだろうか。
11月
30
イー・モバイルのエリアは43都道府県へ拡大——12月に20県で開業 – ITmedia D モバイル
12月から盛岡の「一部」でも、イー・モバイルが使えるようになるそうだ。ところで、「一部」ってどこまでなんだろう。
とは言え、冬休みは盛岡のカフェでもカチャカチャできるというわけですな。
11月
29
東京の気温も一桁になってきた。本格的に冬が到来。オフィスに出る前に、少々遠回りして、表参道を俯瞰する。うむ、と紅葉を見る。
クジラ肉キーマカレーを食べる。クジラを食すことは、日本の伝統文化であります。油とコルセットを作るために、クジラを乱獲した欧米と一緒にしないで欲しい、と強く思うのだが、優しく言えば、食の多様性は認めるべきだと思う。文化が違えば食べるものが違う。当たり前さ。
日本も、調査捕鯨などと言わないで、捕獲数を守った食用の穂量であることをアピールすべきだ。
11月
28
オフィスのお昼に、土鍋でご飯を炊く。正確には、炊いてもらった。土鍋でご飯を炊くなんて難しいのだろうと思っていたら、意外と簡単なようだ。できあがりも、ふっくらと炊きあがり、おいしい。我がオフィスのADは、4杯もおかわりして食べていた。食欲の秋は過ぎ去りましたが、オフィスの料理コーナは充実が進む。
無理しているなぁ。
と思ったことがあった。
春先から興味があり、暦についての本を読んでいる。今の暦と旧暦の差に愕然とさせられる。
日本の伝統行事の多く、何かしらの季節感を持った祭事である。しかしながら、現代、旧暦の日付をそのまま今の暦、つまり太陽暦に持ってきているため、それらの祭事も、本来執り行われる日付から、2ヶ月ぐらいのズレが起きている。そのため、少々無理があるものもある。
例えば、正月明けに食べる七草粥。春の七草などと言うが、関東でもこの時期には生えていない。南か、ハウス栽培の七草を無理して食べることになるわけだが、本来は2ヶ月後の旧正月のころに食べるもの。と、考えると、野山や川土手に生えている草を摘んで、家で食べるというのが本来の姿なわけだ。自然と、もしかしたらポチの自然の恵みを受けた生命力が高まる春の草を食べると。
明治維新後、世界に後れを取るまいと取り入れられたグローバルスタンダードな暦。だが、そろそろ、無理をして、他の地域の暦を使うのは、考え直すときが来ているような気がする。
自分は、特にも季節を感じるだとかそういったセンサーが鈍化している人間だと思っている。これは、自分自身の問題であるし、自分が育った環境・社会の影響もあるだろう。しかしながら、その分、そのセンシティビティを取り戻さなければならないと少なからず思っている。
そのセンシティビティを担保するのが、日本の季節に関する伝統行事なのではないかと思う。日本の祭事というのは、土着信仰、精霊信仰という前に、センスウェアでありソーシャルウェアなのだと思う。あのお祭りが来るから、そろそろこうねとか。寒くなってくる前に、あの準備をしなくちゃとかとか。自分たちの行動と季節がつながっているということ。
欧米化、合理化という、他者のものさしを無理に導入した結果、本来のものさし、感ずるものが希薄になってきた。これは、日本に限った話ではなく、世界の各地域でも言えることではないだろうか。
と言っても、世界のみんなとやりとりする時代、暦が違ったら大変ではないかということになるのだが、考えてみれば、それをうまく吸収しているものがある。「世界時計」。機能としては単純ではあるが、世界の時差を見事に吸収して、地球の裏側の人がまだ寝ているかなとかを気付かせてくれる。
暦だって、時差を吸収すればいいのではないだろうか。
普段は、陰暦で、または太陽陰暦で。だけど、ビジネスの時には、アメリカの人と話すときには、グレゴリで。もしかしたら、どこかのネイティブな暦もあるかもしれない。そんなときは、相手の暦を意識して、メールを書いてみても良い。
世界の暦を本当の意味でグローバル化する。各地域の暦のズレが、恐らく地球の呼吸というリズムなのではないかと思う。
個人的には、朝起きたら、ケータイの待ち受けに表示されている二十四節気を基とした日付で朝の風景を見てみたいということなのですが。「バイリンガル」になっていて、グレゴリも併記されていれば何も問題がない。
テクノロジーというのは、こういう「余裕」をつくり出すものなのだと思う。正直言って、便利なカレンダーがなかったら、グレゴリ暦一本で行きたいと思うのが当たり前ですから。
デザインとテクノロジが、Earth Literacy を深めていくのだろうと、ふと朝焼けを見ながら考えた。
世界の朝焼け交換というデザイナ・クリエイタ向けWEBサービスを作ったら、悲しいけど盛り上がると思うのは、今日だけか。
11月
27
企画提案というのは難しいものだなと、ミーティングを経て思う。
と言っても、何か浮かびそうな気配がしている。取材を続けて、何か未だに見えていないものを探してみようと思う。
驚いたことに、奈良や広島にも、雪虫が出るらしい。専門家も、関東北部が最南端だと思っていたらしい。どこかに潜んでいる真実。これを見出すことがデザインなのだろうと、この話を聞いて改めて思う。
11月
25
Boom Boom Satellitesを観に、connect’07@国技館に行ってきた。ご近所の、あの神聖なる国技館がクラブになるということで楽しみにしていた。
初めて入った国技館に、へぇーとお上り状態になりつつ、巨大フロア化した国技館を満喫。LEDが仕込まれ、ライティングでコントロールされている提灯がずらりと並び、他の大きな箱とはやはり趣が違う。HiFanaで盛り上がりつつ、ブンブンのステージはボルテージ最高潮。モッシュダイブが出るぐらいのライブハウス状態で、とてもクラブのフロアとは言えない。あの戦場感覚は、ハイロウズ以来だ。
個人的には、Francois K.のプレイが一番だった。途中で警察がご来店で音が下げなければならないというハプニングがあったものの絶妙なテクニックが光るミックス。
しかし、今回もVJはダメでした。しまった、Underworldの方にも、無理してでも行けば良かったかなとだいぶ後悔してしまった。世の中、もっと進歩しているはずなのに、なぜあの程度のVJなわけでしょうか?もっと変態VJを見てみたい。未だに、良くも悪くもMotionDive世代なんですよね。もう、風立やProcessingやMAXを知っている自分には、ピンと来ない。
リアルタイム感があって、脳を刺激するような映像を感覚的に見せて欲しい。踊りながら、うーむ、このノリ(つまり体の動き)をパラメータとして映像生成に繋げたら、やっぱりおもしろいのだろうなと、再びVJというよりはパフォーマンス ヴィジュアライゼーションに興味が出てくる。きっと、スペースキーを叩いているだけなんだろうなと言うVJには、あまりワクワクしない。誰も、やっていない、その人のアルゴリズム表現から生まれる、まさしくの「変態」映像を見たい。
ORFに行ったときに、知人がWiiリモコンを分解し、Bluetooth(無線)でノートPCに接続したデモを見せてくれた。靴に付けられたWiiリモコンが反応し、ノートPCから音が出てくるというものだった。結構、簡単にできそうな感じ。こういうフィジカルデバイスとの連携も、変態っぷりを上げてくれそうだ。
インターネットに接続されたシャーマニズムVJ&元気玉VJを展開してみたいなと思いつつ、冬休暇は、プライベートで映像シコシコかなと思ってきた。
加えて、誰か、変態っぷりVJパーティに誘ってください。
11月
25
WOW’s Tent London installation – ICONEYE
仙台にオフィスを構えるwowが行ったTENT LONDONでの展示風景がこちらにアップされています。
実際に見てみたい、触れてみたい思う秀作ばかり。確か、彼らは現在、仙台でも展示中。先日、APMT3で鹿野さんのプレゼンを聞いて、今仕事をしてみたいクリエイター第1位です。
11月
24
押し寄せてくる負のドミノ倒し。できるだけ、陽で持ち堪えようとするがなかなか難しい。世の中の関係性というのは、ドミノ倒しの様に、一方的な倒れ掛けの連続によって維持されているのではないかと思う。
慶応SFCのOpen Reserch Forum@六本木ヒルズに行ってきた。ELPをはじめ、いろいろとプロジェクトで一緒になる人がSFC系が多いので、ご挨拶がてら、知的な刺激をもらいに足を運んだ。ORF自体は、公開研究発表会という感じだろうか。いくつか、自分の気になる分野の研究もあり、同じことを考えている人がいるんだなぁと感心させられた。あるキーワードに対して、真摯に研究なさっているということは素晴らしいことだ。しかしながら、やっぱり研究ベースというか、ものづくりのシーズの段階という印象が濃く、これを一般化していくのが大変なんだろうなと思わさせられるものがほとんど。SFCは、どちらかというと他の教育機関と比べて、そのあたりへのアプローチはうまいのではあるが。
ORFの展示をぐるりと回ってみて、なるほどと、自分の立ち位置が見えてきたところがある。こういった世に出せばおもしろいというものを、いかに世に出せるかたちにしていくか。それが、自分の大きな仕事なのではないか。いい役者の演技を引き出すような感じだろうか。
そういう流れでいくと、「触れる地球」をどうにかしなくちゃいけないというのも、自分の大きなタスクの一つになろうとしている。このところ、発想の転換を繰り返していて、既に数十度、アラカワのカメラ視点は移動している。
アイロンがけをする前に、例の問題を解けと言われるが、そうもいかない日々があるから、日々のデザインじゃないでしょうかと、切り返してみる。
11月
22
駅周辺は「盛岡の顔」である。アイーナが西南地区(県立美術館やイオン南の周辺)に建ったのならかまわないが、あれではリトルさいたまと揶揄、苦笑されても仕方がない(関連して盛岡タイムスの記事をご参照ください)。
ちなみに、ぼくの周辺、知人たちで「アイーナは素晴らしい」、あるいは「誇れる施設」と明言する人はいない。逆に「恥ずかしい」とか「お荷物」という人のほうが圧倒的だ。
アイーナは「建物単体の個性」としては優れているかもしれないが、盛岡(あるいは岩手)の個性に寄与しているかというと、大いに疑問だ。
近所の商店街のお店が、店を畳み、一戸建てを路面に建てている。それも、ヨーロッパ風の趣の住宅。恐らく大手ハウスメーカーが提案する流行のスタイルなのだろう。世田谷あたりならともかく、深川ではいかがなものかと思っていたところ、こんなエントリーが。
建築とは、その周辺との調和が大切であると思う。建造物は、そこに単独して存在しているわけではなく、多くの外的環境との関係性の中で存在している。外壁と、その形状はインタラクティブな関係性を持ったインタフェースである。
「アイーナ」は、プチ埼玉と言うよりは、仙台メディアテークの焼き直しの作品というのが良い言い方じゃないかな。岩手山を望む盆地の盛岡に、あんなにガラス面を作って、冬の暖房費はどうなるのでしょうか?というのが自分の最初の感想だった。
「文化」という意味では、
アイーナは「建物単体の個性」としては優れているかもしれないが、盛岡(あるいは岩手)の個性に寄与しているかというと、大いに疑問だ。
というのがごもっともな指摘。あれが、盛岡なのか、岩手なのか、というとそこに疑問を感じる。これは建築家の責任もあるが、プレゼン時の選考基準はどこにあったのか気になるところ。まさか、随意契約じゃないですよね?と突っ込みたくなるが、これから、地域性、周辺との調和性というのを強く考慮していくべきだ。
自分が好きな日本人建築家の伊藤豊雄、隈研吾の2氏は、そういった周辺との関係性を意識した建築を手がけている。伊藤豊雄は、仙台メディアテークで有名になった建築家だが、その後建築を自分は重要視している。例えば、建築の周りを囲む山の形状から生まれる気流を解析し、その気流の形状から屋根の形状を決める。その為、周りの山々に囲まれた美しい曲面の形状が生まれている。隈研吾は、負ける建築を標榜し、外からはどこに建物があるかわからないような建築を生み出す人だ。例えば、山の上に展望台を作るのではなく、山頂を残し、山頂の地下に展望室を作るなど。また、彼は建築に使う素材や技術を地元のものを使うことでも評価できる。漆喰の土は地元のものを、設えに使われる技術は地元の職人と共同開発するなど。
ガラスとコンクリートによる建築も、そろそろ考え直さなければならない。先日、地球大学にいらした講師が話していた事例で、木造建築で鉄筋コンクリートの半分のコストにより高層建築を作ったというものがあった。木造だから高い、脆いという発想ではなく。地方の木材資源と予算を考えると、「現代の高度な技術」を用いた木造建築の方が良いのではないかと。無論、その後の建築から人に与える暖かさを考えても。コンクリート建築だって、寿命30年とか言われる時代だ。木材がとりわけ脆いというわけではない。岩手の木材、間伐材を使った素晴らしい建築が登場したって良いじゃないか。前に、訪れた二戸の木造の施設は素晴らしいものだった。温もりがあり、優しい建物だった。
ということを、悶々モンチッチと考えています。年末年始は、こんなネタを肴にパーティを。
11月
21
今日は、午後から半休を取った。自宅の配管点検に立ち会い、その後、映画を観に行った。
母親の急逝により父親の電器修理店を手伝うために帰郷している売れないミュージシャンが、街角で出会ったチェコ移民の女性と出会う中でデモCDを再びつくっていくという、「once ダブリンの街角で」という音楽映画。劇中で演奏される音楽は素晴らしい。ほぼミュージカルに近いぐらい、主人公たちの心情を描く詩とアコースティックな音に心酔。やさぶれている方にお勧めです。詩のような映画。
と言いますが、基本的に、ひげ面男の妄想音楽映画とも言えます。「髭」なあなたにお勧め!
