押し問答。そんな日が続く。

2007年後期から2008年前期に掛けてのデザインテーマが決まる。とても身近なテーマになった。提案したのは自分自身なのだが、なんでまたこんなテーマを選んだのか。その自分自身の変わり様に驚いている。上っ面のかっこ良さを求める時期は、やはり過ぎたのだろうか。

ウェブもりおか:ブランド推進室からのお知らせ:盛岡デー・イン・東京

盛岡デーというのがあるらしく、東京都内で盛岡のPR活動が行われるらしい。メイン会場は、東京駅地下の動輪の広場(スモーキーなエリアですな)だそうだ。

アラカワ的に、足を運んでみたいのは、

「盛岡の伝統工芸品の展示即売」
* いわて銀河プラザ
7月3日から5日

盛岡の芸能と音楽の夕べ
* 北とぴあ つつじホール
* 7月2日(月曜日)18時30分会場,19時開演
* 第一部:盛岡の伝統芸能と昔語り
(黒川さんさ踊り,昔語り)      
* 第二部 北へ帰ろう盛岡へ
(楽曲演奏,朗読「盛岡ノート」,盛岡ゆかりの楽曲演奏)

の2イベント。しかし、なぜ北区でやるのかは謎ですが。

IBC NEWS:北上川を観光に、船で現地調査[19:31]

北上川流域の観光資源を掘り起こそうと、一関市で船に乗って景色を見る官民合同の現地調査が行なわれました。
この調査は東北地方整備局が今年初めて行なったもので県南広域振興局やNPO法人・北上川流域連携交流会などから30人が参加しました。一行は調査船に乗って一関市川崎町を出発。宮城県との県境には川幅が狭くなる狭さく部があり県南部で水害がおきやすい反面、四季を通じて川の両岸に広がる自然が美しい場所としても知られています。

最近、江戸の舟運を研究している方と話すことがあり、日本橋川を上ろう等という企画が出ているのだが、盛岡も川に囲まれた良い土地なのだから、船下りなどができないものかと思っていたら、盛岡ではないが北上などでこういった動きがあるそうだ。中津川は座礁しそうだから、北上川などはダムのあたりから、南大橋のところまで川下りを観光でできないものだろうか。

と、考えると、川沿いのえげつないホテルの景観は何とかして欲しいものだが。

canade intersense

誰かを想うこと。想いのその先にその人がいるということ。
そういう人の想像力を根にした繋がり方があってもいいのではないでしょうか?そのことが自分に一番近い身体感覚でふれ合うことになるのだとボクらは思います。

インターセンスのコミュニケーション。それはやさしい、想いが繋がる世界。

自分の知的活動はどう遺されていくのか、そしてInternetという神経網がやりとりするBitに乗るsenseとはどこへ行くのか。そんなことを考えていたら、尚明さんたちのintersenseという考え方があったのを思い出した。

Internetのすごいところは、netをinterしているところである。事を複雑化するならば、inter-sense-wareをデザインするところに、今のところ、自分の妄想は落ち着くような気がする。

「このまま行くと、アラカワ君がこうやってクリエイティブなことをできるのも、あと2,3年かもしれない。」と、ガーンと衝撃を受ける一言を竹村先生が投げかける。彼は、とても地球環境や世界の状況に危機感を抱いている。温暖化で環境が変化していくことによる自然変動だけではなく、その自然変動が生み出す紛争などの世界情勢の不安定化が懸念されるからだ。

このことは、何も人に危機感をあおるための話ではない。デザイナとして、この2,3年、こういった問題に真摯に取り組むと言うことが、文明への貢献なのだという話なのである。

デザイナやアーティストが、平和憲法(つまり9条)についてもっと発信すべきだと言うことでPeace9運動が起きているが、なぜ、平和憲法にデザイナやアーティストなのか?それは、平和だから創作活動ができる。戦争になったら、自由な創作活動なんてできない。そういう根本的な問題に対する危機感から生まれている運動だったりする。

江戸時代、日本は徳川幕府の下、天下太平の時代を過ごし、そして独自の文化を育みアートは百花繚乱となった。

地球環境も、近いことが言えるのではないだろうか。安定した環境において、平和な生活をできるから、デザインなどのクリエイティブなこともできるし、それが活かせる生活がある。

デザインができること。そのことを真剣に真摯に考えなければならない。

気が付いたら終電の時間だった。朝から、地図系の処理作業を。メルカトールだの、平面直角だのとにらめっこしつつ、プログラムに渡すパラメータを少しずつ変えていく。夜遅くには、なんとか見通しが付く。

地図の世界も、とにかく数学だ。それも、なんだかよくわからない記号だらけの数式の世界。自分が使っているツールは、そういうのを、ある程度は吸収してくれるインタフェースを持っているので、自分のような初心者でも地図画像を編集できるのだが、それでもなかなか敷居が高い。

しかしながら、GoogleMapsのAPIは、そういう地図に関する専門知識が無くても利用できる地図インタフェースをつくってくれている。ちょっと勉強すれば、簡単に地図アプリケーションがつくれてしまう。このことは、とてもすごいことなのだと、朝から地図の勉強と作業をしながら改めて思う。地図という情報基盤を自由にここまで使える時代は、今までにはないはずだ。

地図の話だけではないが、最近気になるのは100年後、今の情報における状況はどのように捉えられて「歴史」として認識されるのだろうかということだ。それぐらい、今はダイナミックな文明の過渡期にいるのだと思う。

自由だ。フリーダム!と拳を挙げるのは照れくさいが、それぐらい、僕らは情報に対して自由な時代にいるのだと思う。そういう時代に、自分は何ができるのか。

via! Holz日記。:てくり 5号

てくり5号が6/30発売らしいです。

良く僕らは、人に正論を求めてしまう。こうであるべきだ。こうすべきだ。と、よく他人に口をついてしまう。しかしながら、人というのは正論だけでは動いていない。多くの間違いの繰り返しの中にいるようなものだ。自分の場合、とりわけ、プライベートでは間違いだらけ。エラーとコンフリクトの固まりだ。「キミはいつもそういう間違いをする」とそんな間違いから自分が評される。正論ができたからって、チャーミングではない。間違いの組み合わせやその大小が、その人の個性なのかもしれない。不思議なことに、正論からではその人の形は見えてこないのだ。なぜならば、正論は社会の共通項であり、公約数でしかないから。

インタフェースをデザインするときに、どうしても、ユーザに対してこうして欲しい。という希望をデザイナは持つ。そして、ユーザに、その希望に添って欲しいという期待を持つ。しかしながら、その期待は裏切られることが多い。だから、いつでもインタフェースのかたちを皆が追い求めている。

果たして、クリティカルパスとも言えるような一本の道筋を用意するだけで、デザイナの希望と期待を叶えてくれる形状が生まれてくるのだろうか。残念ながら、ユーザは、どこをクリックしようかと悩み、違うところをクリックして、アプリケーションの無反応っぷりにあきれつつも、いくつかの間違いの中からデザイナの期待する動作を見出す。そう考えると、間違いの積み重ねから、本当の形状が生まれてくるような気がしてくる。それは、逆説的である。正論としての張力と間違いとしての張力のバランスが取れた状態にあるものの「かたち」なのであろう。

間違いの積み重ねからかたちが表れてくるやわらかいインタフェース。そんなインタフェースが欲しい。きっと、デザイナの思う正論より、使う人の希望と期待の裏返しによる「間違い」が、インタフェースの個性をつくり、チャーミングなかたちをつくりだすように思える。

via! 完成が近いラウンドワン – 愛LOVEもりおか★徒然日記 – Yahoo!ブログ

盛岡駅西通り、ちょうどマリオス裏に建築中の複合レジャー施設「ラウンドワン」、
工事用シートが外されはじめ、その姿が現れて来ました。

盛岡の駅裏に、また何かできつつある模様。マッハランドなものができるのかな。

お盆に帰るときは間違いなく、浦島太郎状態。

今日は午前から自主研究に没頭する。夕方には、いくつかの研究結果の挫折を抱えつつも、あきらめといったらいいのか、確実性の判断を下す。

遠方より友人来る。人とは魅力的だ、と改めて思う。下北沢から浅草か…コンチクショウ。

休日の丸カフェは謎だ。7割ぐらいみんな昼寝をしている。何で昼寝をしに、丸の内にやってきているのか、わからないが、みんな寝ているのだ。自分は、ひたすらコーディングとメモを。

1ヶ月ぐらい楽しみにしていたデザインスケッチが出来上がるが、期待したものにはならなかった。ちょっとショックだったが、良い研究になった。また、どこかで彼とは出会えると思い、彼から学んだいくつかのメソッドを心に留めておく。

夏の表現。なんでしょうかね。

門前仲町に、日本最古の鉄橋がある。鉄橋といっても、全長15mほどのかわいい小さな橋だ。八幡橋という。もともとは、中央区に架かっていた橋だがいろいろないきさつがあり、掛け替えられ門仲にてひっそりと余生を過ごしているらしい。その構造を見ると、日本の工業の夜明けを感じさせる。

Next Page →