こどもは、のりを事務用品だと思ったことはない。

あるCMのナレーション。

もの作りの基がここにあるような気がする。

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なんとなく、アメリカンクイズ。

ミーティングが時間がかかり、終電を乗り過ごす。ということで思い立って、自転車で家に帰ることに。表参道→青山→赤坂→溜池山王→日比谷→皇居→有楽町→八丁堀→深川というコース。お巡りさんの目が厳しいですが、夜の東京を横断するのは意外と楽しい。いつもとは、違う街の一面が見られるような気がする。面白かったのが、表参道から深川まで、本当に緩い傾斜になっている。お陰で、ペダルは軽い。しかしながら、逆の道のりは緩く上り坂なので、良い運動になるわけだ。街を体で読み取る。楽しいワークかもしれない。

我が母校(盛岡三高)の名前が、あまり良い形ではなくニュースに流れていますが、自分も地理しか履修していないんですよね(たしか)。それは、OKなのかと不安になってきています。この問題、何年前まで遡る問題なのだろう。もし、高校卒業が認定されないものとなると、大学自体への入学も無効になる危険性もなる。となると、学歴が怪しくなる。こうなったら、みんなで同窓会チックな集団訴訟!?

あぁ、心配。

communication refuse.

3日ほど、ほとんど家にいない日々を過ごしたので、家事が溜まる。午前中に、いろいろとお片付けをし、親孝行作業を。クリーニングを出しがてら、近所を散歩。

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前から気になっていたSacra Cafe.に行く。清澄庭園から門前仲町に抜ける道沿いにある小さなカフェで、その名前と店構えに惹かれていた。予想していなかったのだが、有機野菜やマクロを意識したメニュー構成。朝から何も食べていなかったので注文したケーキも、スパイシーなアップルケーキにソイクリームを添えたもの。久々に、繊細で舌に優しいケーキを食べた。中々、舌に優しいって無いなぁと感嘆する。一度、ランチにも足を運んでみたいと思う。

あと、ここのテーブルとイスが中々美しい。カフェのサイトを見ると、良い出のファニチャーのようだ。カップも素敵だった。これは、カフェの奥さんの妹さんの作品だとか。微笑ましかったのが、お子さん二人がバンダナを頭に巻いて、両親の手伝いをしていたこと。かわいかった。

東京都現代美術館→清澄庭園→このカフェという順路はお勧めだな。その後に、うまいイタリアピッツァ店もある。ただの食いしん坊だな、これでは。

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風邪気味なので、ネギ、ニンニク、ショウガ、ニラという特効薬になりそうな野菜だらけの食事を。今回のヒットは、キャベツのスープパスタ。スープパスタというとコンソメベースなのだと思うが、これはなんと鰹節だしのスープ。意外にや、これまたうまかった。きっと、春キャベツのころはさらにうまいのだろう。もしかすると、これからの時期は白菜が合うかも。

クウネルの本 伝言レシピ
クウネルの本 伝言レシピ

この忙しかった日々を取り戻そうと、本屋でレシピ本を購入。そこに、上のスープパスタが載っていたのだが。いろいろと作りたくなるレシピが揃っている本でした。

来年秋からの大型展示に関わることになりそうだ。一制作スタッフとしての参加とはいえ、恐らく人生最大の仕事になりそう。自分にとって新たな試みが始まる予感。

「道は開けた」。実は、そう思う次第なのだ。後は、その道をどのように、自分に確実に歩かせるか。身勝手かもしれないが、自分はそのことを忠実に考え、行動に移すしかないように思えてきている。それは、自分に嘘をつかないこと。

自分が、自分で認める仕事を、罪悪感を持たずに取り組めること、打ち込めること。これが、自分にとっての命題なのかもしれない。でも、きっと身勝手なのだろうが。

荒川家に誉れのニュースが飛び込んできた。まだ、箝口令が敷かれており公にはできないが、自分は、どうやら、もの作りの家系に生まれたのかもと思わされたニュースであった。我が家系は、特に職人の家系というわけではないが、自分はものを作り、世に奉仕する人間の血が流れているのだなと。

私が盛岡で好きな街並みというと、やはり鉈屋町、大慈寺、八幡町界隈。昨年、盛岡に帰った際に参加した街並み塾でも、その優しい街並みに改めて惚れた。

さてさて、そんな鉈屋町にある「岩手川酒蔵」の保存問題が取り出されている中、設計同人の渡辺氏を筆頭に見学会が行われたらしく、その報告会が催される模様。古い建物、街並みに興味のある方は、ぜひ、足を運んでみては。

ちなみに、会場となる源三屋も、蔵をリノベーションした良い建物です。

岩手川の保存活用を考える。
■酒蔵見学報告会

 盛岡で唯一、歴史的なまち並みの景観を残す「鉈屋町・大慈寺地区・南大通地区」。
その中にあって、「岩手川の酒蔵」は、盛岡の伝統産業である「酒造り」の歴史を伝
える場として、またまち並みの核として、決して失う訳にはいかない盛岡の宝です
 この度の破産により、その解体が心配されているこの「岩手川の酒蔵」を、盛岡市
に保存要望を提出している五団体の代表が、特別に許可を得て見学して来ました。
     
■日時:平成18年10月23日(月)15時~17時
■会場:あさ開『源三屋』(ステラモンテ隣)
■次第:
  □見学と現状の報告
  □ダイワハウス分譲住宅の景観要望について
   解説:渡辺敏男(盛岡まち並み塾事務局)
  □ワークショップ
   ファシリテーター:小野寺英輝(産業考古学会岩手地区研究会)
  □まとめ
   高橋司(文化地層研究会会員)
■主催:盛岡まち並み塾/産業考古学会岩手地区研究会/
   (社)日本建築家協会岩手地域会/県建築士会まちづくり委員会/
    文化地層研究会

※公会堂のMLより転載

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なんだか忙しい三日間を終えた。

今日は、水戸へ。佐藤卓さんの展示会が水戸現代美術館で始まり、そのオープニングトークに登壇する竹村先生に付いていった次第で。イベント前に、卓さんご自身に展示作品を解説していただきながら駆け足で展示を拝見した。これは、またゆっくりと来なければ。

今回の展示の企画として、地元企業と開発した「チョコ納豆」と「チョコ☆(ほし)芋」はお勧めです。

D-BROSのクリエイターズダイアリー、110FilmのSolarisをゲット。

「そのままの君が美しい」

と、言われたら、女の子としては褒め言葉と捉えることができるのだろうか。正直言って、そう思ってもらえるか自信はないが、自分にとっては、それは褒め言葉だったりする。あまり化粧の濃い子は好きじゃない自分だったりする。

もちろん、見た目だけではない。性格も、変に飾らない人の方が良いじゃないか、とも思う。ちょっと不器用なぐらいの方が、いやいや、素朴でその人の本当の姿が見える人の方が良い。

だけど、そのまま、自然のままでいることは、難しい。時には、「そのまま」、「自然のまま」というのが何であったかを人は忘れてしまうことがある。

それは、街もそうなのではないかと思う。

友人から、北海道の「水曜どうでしょう」のWEBに岩手のことが書いてあるからと知らせが届く。早速、見に行くと、ディレクタの日記の文章なのだが、これまた名文が。残念ながら、既に更新されてしまって見られないのだが、そんなこともあろうかと、保存していたので、それを引用しつつ。

HTB 水曜どうでしょう

10月16日、週があけまして月曜日。藤村でございます。

さて先々週になりますが、岩手で地上デジタル放送がスタートしまして、そのイベントにわたくし呼ばれました。

「岩手未来博」と題した、「岩手を見直そう」「岩手を積極的にアピールしよう」というようなイベントで、私は開口一番「岩手はアピールする必要なし!」「むしろ黙っててほしい」と言ってしまいました。

おぉ、なんと面白い話の展開。ここで、心を捕まれてしまった。

岩手は北海道に次ぐ日本第2位の広さを持つ。そのくせ盛岡以外にたいして大きな街がない。だから、これといって思い浮かぶものがない。だから、「行こう!」という強い動機が生まれない。岩手は、観光するのにつかみどころがない県だ。

でも、三陸海岸に出れば魚が美味い。山の幸も豊富。なにより餅文化が浸透して私好み。

こんな土地、人には教えたくない。「岩手ってなんにもない」。そう思わせておけばいい。旅の一番の楽しみは、人に知られていない、自分だけの「心地の良い場所」を見つけることだ。だだっ広くて、なんにもない岩手は、だから旅をするのに最も心くすぐられる土地なのだ。

こういうのって新発想だなと思いつつ、でも、本当においしいと思っているお店は、人には教えなかったりするものだ。だって、噂が広まって混んでしまったら、自分が好きなときに行けなくなってしまうから。隠れた名店というのは、そういうものだ。

岩手はこのままであってほしい。「岩手をアピールしないでほしい」。黙ってても、いや、黙ってるからこそ人を惹きつける、岩手はそういう場所なのだ。

「このままで」あると言うことが、なんと難しいことか。そのままの、つまり「素」のままの美しさを持つ人だなと思っていて、次に会ったときにメイクが濃くなっていたら幻滅してしまう。と私は思う。

生まれ故郷である盛岡・岩手ではあるが、正直言って、日本の様々な土地と比べたら派手な観光資源という観点で言うと、厳しいと思っている。おまけに、最近は古い建物が壊されたりして、どんどん観光資源が無くなり、中央のコピーが増えている。そんな中、本当の盛岡・岩手の資源って何だろうか、宝って何だろうかと考えると、それは「自然」であり、「自然である」ことなのではないだろうか。何を今更と言われるが、本当に「自然」は財産である。そして、取り返しの付かない有限なものである。だけど、恵まれ過ぎていると無限だと錯覚し、消費してしまう。

夜、盛岡の街へ出ました。

繁華街は思いのほかコンパクトで、きれいに整っていた。街には2本の川が流れている。サケが上ってくるそうだ。

「県庁所在地でサケが上ってくるのは、札幌と盛岡だけ」

なんともいい街だ。

最近、人に、盛岡はサケが遡上するところだと教えた。それも市役所の裏にと。東京生まれ育ちのその人は、とても驚いた。奇跡ではないけど、奇跡的なことが盛岡では毎年起きている。枯れ木に花咲くよりも生木に花が咲く方に驚くべきであり、それを大切にしなければならない。

先日、訪れた街でちょっと困惑したことがあった。キレイな川だと橋のたもとから、その景色を眺めていたのだが、川沿いにある家から、白い泡ぶくの液体が乾いた溝をたどって、透き通った川に流れ込んでいっていた。清らかな川の流れは、その泡ぶくを溶け込ませ、何もなかったように、いつものように流れていくのだが、自分は、見てはいけないものを見てしまったような気になった。

確かに、その「とき」は、自然が包み込んでくれて、許容してくれたように見えるかもしれないが、許容されないときが必ずや来る。自然は無限である、何でも許してくれる。そのようなことはあり得ないのだ。産業廃棄物を不法に捨てる輩など、本当に厳罰に処すべきである。

もしかしたら、自然があるから、いろんなことをできる可能性があるのではないだろうか。人を育み、土地に多くの潜在能力を持たせてくれる。意地になっても良いのではないかと思う。最後まで頑固に、自然を守り抜くべきではないか。それが、最後の宝であり、砦であるから。

と言って、古い生活を強いるわけではない。自然と共生する新しい生活だってある。それこそ、人類の英知がそこに結実すべきところである。一度、人類はしゃがんだ。そこから、どう跳躍するか。自分たちは、今、それが問われている。

盛岡に住む若者と対談のようなこともしました。

帽子屋の男、藍染をやっている男、ほとんどプータローでDJやってる男、ライブハウスを開いた男、そしてカフェをやってる女性。
何人かは東京へ出て、盛岡に戻って来たそうだ。

「今、東京から逃げてきたって言ったけど、本当にそう思ってる?」
「うーん、どうだろ」
「東京じゃなくて、盛岡の方が好きだから戻って来ただけなんだろ?」
「本当は、そうですね」
「『逃げてきた』っていうのは、世間的にそういう言い方が一般的だから、自分もつい言っちゃったんじゃないの?」
「まぁ、確かに」

なぜか今でも東京から戻ってくると、何かに負けたような印象を持たれる。でも、例えば「盛岡で初めてライブハウスを開いた男」の話。オープン当時、人前で演奏できるバンドは、盛岡に9組しかいなかったそうだ。それが今、50組になった。彼がやったことは、東京でライブハウスをやるより、もしかしたら難しいことだったかもしれない。

ずらずらと引用してしまったが、その通りではないかと思う。

盛岡という田舎町で、彼らは何をすればいいのか?

「例えば、カフェと雑貨屋をやってる彼女。カフェや雑貨屋なんて、多分、ほとんどの女の子がやりたい仕事でしょ。誰でも一度はやってみたいと思ってる。それをあなたは、今やっているわけだ。だったら、あなたが盛岡ですべきことは、カフェをやりながら幸せに暮らすことでしょ。盛岡で雑貨屋とカフェをやりながら幸せに暮らす。それさえすればいい。東京の人は、そんなことされたら絶対にかなわない」

別にカフェをやってない奥さん方だって同じ。盛岡で、岩手で、自然にあふれた環境の良い街で、幸せに暮らす。それさえできれば、誰もあなたたちにかなわない。そんなあなたに余裕があったら、チェーン店のファミレスではなく、盛岡でカフェをやってる彼女の店でお茶を飲む。メジャーのCDを買うのを1回やめて、盛岡のバンドのインディーズを一枚買ってみる。盛岡の若者が手を真っ青にして作ってる藍染のTシャツを1枚買ってみる。たったそれだけで、彼ら、彼女は幸せに暮らし、外にアピールしなくても、いつのまにか盛岡の文化が育っていく。

ここまで、こういう率直な言葉で語られると、「そうですよね、確かに」としか言いようがない。こういうことをさらっと言う人が、あの化け物番組を作っているのかと思うと、納得する。

自分が東京に出るときに、実はその他の候補地として、沖縄(那覇)と札幌があった。札幌は、クリエイター支援が進んでいたことと、どうでしょうのミスター(鈴井さん)の影響もある。一時期、本当に弟子入りしようかと思ったぐらい。

こういう考え方を持ったスタッフがいるから生まれた地方番組なのか、そして生まれたムーブメントなのかと思うと、納得してしまう。

自然であること、そして、そのままであること。これが本当の文化を創り上げる要素なのかもしれない。最近、厚化粧な話が多いような気がする。盛岡には、素肌美人になって欲しい。そう思うのだ。本当の美しさとは、内面からにじみ出るものとも言える。

今日、「アラカワさんは、いつまでの期限付きで?」と言われてしまった。偉そうなことを書いているが、今自分は盛岡には住んでいない。自分は、この葛藤を抱えながら、今日もまた、東京で丁稚奉公、出稼ぎをしている。

だから、ちょっと遠恋気分なんだ。あの娘があのときのままでいて欲しい。あの透き通るような肌で微笑んでいて欲しいと思うのさ。

日本グラフィックデザイナー協会の東北大会が、「地域おこしとデザイン」というテーマで催されるらしい。非会員でも参加可能らしい。

JAGDA:地区・地域活動 ニュース

JAGDA東北地域会員大会 ‘06 <盛岡>
日時 : 10月21日(土)15:00-
会場 : ホテル東日本[盛岡]
内容 : 15:30-17:30 セミナー「地域おこしとデザイン」-東北各県の実例から学ぶー
18:00- 20:30 親睦パーティ(会員以外でも参加可能)
参加費 : セミナー/無料
親睦パーティ/6,000円

思い立って、自宅から表参道のオフィスまで、自転車で行くことにした。永代橋を渡り、八丁堀、有楽町、皇居、国会議事堂、赤坂、表参道へと。ちょっとした東京横断。体がなまっていることもあったのだが、大体1時間ぐらいで到着。鍛えれば、40分ぐらいで行けるのだろうか。メッセンジャーの人たちはすごい。

皇居ぐらいまでの道は気持ちいい。しかしながら、246などは自転車が走る道ではない。走りやすい裏道を見つけなければ。

朝、自転車に乗ることもあって、昨夜、仕入れてきた自転車の部品を交換。古くなっていたブレーキを取り替えた。古いパッドが消耗していて、新しく買ってきたパッドと見比べたら、半分ぐらいの厚さで驚いた。変速機とタイヤも、本当は交換時なのだが…。何しろ、12年ものの自転車なので。

自転車いじりに続いて、仕事でホームセンターから仕入れてきた機器を分解。今度、発表するプロトタイプに利用するためにだ。朝から晩まで、工具を持っているというのは、何とも幸せな気分。このところ、ものを作るところ以外で悩ましいことが多いので、こういうときは至福の時だ。自分の工作技術で、どこまできるかを見極めつつ、自制しつつ、プロトタイプ作りを。こちらは、来月にも公開予定。

Daisy-weblog: 続けること

Creator’s Cafeを、盛岡の若い世代(アラカワ君も若いけど)に渡しちゃえばいいのに、と思う。

あまり、ここらへんの裏事情を公にしても、何も得することはないと、公の場では語ったことがないが、笹平さんからの指摘もあり、同時に、自分自身、クリカフェが何らかの形で残ってくれるのならばと思うので、このあたりのお話を。

クリカフェの定期的なイベント開催が休止した後、実は、引き継ぎたいという有志が手を挙げてくれて、一度は引き継ぎを行った。残念なことに、その後、うまくイベント準備が行かなかったのか、彼らを運営メンバーとしては、クリカフェのイベントは開催はなかった。意外とこういった手のイベント運営は大変だったのか、自分の引き継ぎが余ったのか、これに関しては、自分でも悔やまれるところ。ただ、このことは、やる気を持って手を挙げてくれた彼らだけが悪いことでも無いと思っている。こういったものは、様々な機会・機運が揃って、動き出すもの。このときは、その「とき」ではなかったのだと。

クリカフェのイベントを久しく開催できずにいたのだが、昨年、一度だけだが、復活開催をした。これに至っては、手伝ってくれたスタッフ、そして励ましの声をくれた参加者、「参加したことはないけど、今度は参加したい」という方々からのご支援があってのこと。改めて、感謝。

それでつぶれてしまうなら、盛岡にパワーがあったのではなくて、アラカワ君個人のパワーでしかなかったということになってしまう。盛岡の若い世代(アラカワ君も若いけど。しつこいか)も、「自分にやらせてくれ」って言い出すべきじゃないだろうか。そういう場を切実に求めているんだったら。

正直に申すと、クリカフェは、誰か手を挙げてくる人がいるのならば、ぜひ動かして欲しいと思う。元からそうですが、クリカフェは自分だけのものではなく、盛岡・岩手を軸とする多くの表現者、クリエイター、アーティストのためのもの。もはや、共有財などのだと思う。加えて、クリエイターズカフェというネーミングにも、こだわらなくても良いと思う。別な名称のイベントでも良いと思う。

いずれにせよ、ちょっともったいない。そして、言いだしっぺが抜けても続いていくのが、「根付いた」ということなんじゃないかなあ、たぶん。

確かに、「根付いた」という表現はできないだろうなと思う。

笹平さんの「ちょっともったいない」という言葉に救われる。毎回、なんだか不思議な出会いがあるのが、クリカフェである。こういうイベントがないと、関わりを持たない人と出会ったりする、その不思議さが、クリカフェの魅力である。

盛岡のこういったことは、盛岡で活動する方に託す。自分の最近の方針である。その一方で、「北のデザイン」という基軸で、何かデザインカンファレンス・イベントを作り上げられないか、それが最近の自分の考えるところである。

なぜならば、北の地に生まれ育ったことを誇れる、デザイナ、ものづくりになりたいからだ。

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