8月
31
8月も終わる。
今年の後半は、じっくりと潜っていようと思ったが、そうとも行かないようで、いろいろとプロジェクトに関わることになる。またまただが、年末にいろいろと出てきそうだ。
久々に、文字組を。文字とは、やはり難しいグラフィックだ。
修理から帰ってきたカメラを取りに行けず。
アポロ11号による人類初の月面歩行は、実は、オーストラリアの片田舎の電波望遠鏡を用いて中継されていたというお話。その困難に挑む所員たちと世紀の偉業に携わることに盛り上がる住民たちの姿に、ホッとする。なんでだろうか、あのエンピツが宇宙に飛び立つとき、みんなあの一点を見つめて、わくわくしている。時代感の違いかもしれないが、僕が生まれてからそんな風にわくわくしながら、世界の人が一心にテレビを同時に見ることってあるのだろうか。悲惨な映像を生中継で囲んだことはあったとしても。
この映画、所員たちの職にかける姿が美しい。プロフェッショナルとしての誇りと意地。どんな職業にも通じることなのかもしれない。そして、それを支えるキュートなパートナたち。職に真摯に取り組むと言うことの素晴らしさを暖かく説いてくれる映画だ。
基本、NASAには負けません。
ところで、この映画の原題は「THE DISH」。ひつじの放牧地に建っているパラボラアンテナだから「月のひつじ」なんだろうけどね。邦題って、難しい。
そういえば、冥王星が惑星から外れた。こういう時って、星占いってどうなるんですかと、意地悪な質問をしたくなるが、昔から冥王星が太陽系であることに違和感があったので、あまり個人的には驚かず。
8月
29
Daisy-weblog: IWDミーティング#2の内容、ほぼ決定。によると、IWDの第2回が催されるようです。
今回は、鈴木亮さんの「サイト構築必須知識・総チェック」、101さんの「ブログのカスタマイズデザイン(MovableType中級編)」、54LABさんの「WEB標準とSEO」というラインナップ。
IWDミーティング #2
会場: アイーナ(岩手県盛岡市) 813研修室
スケジュール: 2006.09.09(土) 14:00 – 16:30
会費: 500円(学生は無料)
定員: 16名
8月
29
37signals Jason Fried氏の公演 「より少ないシンプルな機能で競争する」:Goodpic
なかなか明快でかつ勇気付けられるレジュメ。
8月
29
あっ、藤原だ。
なぜか、藤原に置いてあったストIIの画面が蘇った。
8月
29
映画「UDON」を観てきた。壮大な街興し映画であると同時に、親父の背中を見ろ!系の映画でもある。映画としての完成度は高いものではないが、もう、街興しに、親父の背中のキーワードで、わたくし泣いてきました。ゲド戦記よりも、観て損はないはず。
この映画の主人公のような男を如何に、地方はつくり出し、そして受け入れていくかがキーになるような気がする。誰がしも、夢を見て生まれ育った土地から大きな土地に出ようとする。そして、中には成功し、中には夢に破れる者もいる。そして、生まれ育った土地に戻ってくる彼らを迎え入れる土壌があるかどうか。何か目指す者があり、外の空気を吸ってきた者の血というのは、その血を発展させて行くには必要不可欠なものでは無いだろうか。
盛岡・岩手は、やはりクリエイティブな分野を学ぶには、まだまだ不足しているところが多い。これは、認めざるを得ない事実である。だから、多くの若者を外の教育機関で学ばせ、経験を積ませ、将来的に盛岡・岩手にフィードバックさせていく。そして、彼らが教える側に立って、盛岡・岩手(ここまで来るとそれぞれの地方という意味であるが)の文化・産業を発展させていくというスキームをつくっていくことが必要なのではないだろうか。
段々に、いわゆるUターン候補側になってくると、意外とその環境に関する情報が少ないことを感じるのである。と言いつつ、友人からの誘いを断ってしまったことは断腸の思いである。言い換えるとアラカワホルモン状態だ。何か、手みやげを持って、次回はしかと馳せ参じます。
さんま、うまい。昼に焼き魚、夜に刺身だった。最近、お気に入りはコチだ。
アラカワのデザインワークは、「これ、きれい?」ではなく、「これ、きれいです。」と言い切るデザインだと言われて、確かにと思う。どちらも、有りなのかもしれないが、自分の場合は後者であろう。明確な提案をする。それが、自分に求められる文明への貢献であると、思い込み、日々精進である。
auの新機種、気になる。
久弥君が、これまた力作をつくってくれた。明日の地球大学のBGMなどで使われる予定だが、彼の音に対する拘りというか、集中力はすごい。自分も、集中しなければ。シューチュー。
チョーさんプロジェクト。地味にではあるが進めいている。と言っても、とにかくUIで悩む。と言っていたら、Flickerがやりやがった。
8月
24
最近、諸先輩方が自分に贈ってくれた言葉の意味がわかってきた。いろんな旅立ちの瞬間、節目でいろんな言葉をもらってきたわけだが、その言葉の意味が、この日々の中で深くわかるようになってきた。
知らぬ間に、月末ですか…。
8月
22
日曜日の銀河プラザでのロジデリは、盛り上がってますね。自分も、福田パンをゲットしに行きたい。気になるのが、mixiだけで盛り上がっている印象を受けることだろうか。一般向けのWEBには、あまり情報が出ていない。それぐらい、mixiが有効なメディアになって来ていると言うことなのだろうか。
町おこしに、SNSとかって、どこかの人が言い出さなければいいけど。そういうことは、やめましょう。
さんさ踊りに続いて、僕のまわりでは「銀河プラザのWEBはやる気がない」、「什器がひどい」と、ショップ自体のPRも評判は悪し。付加価値って、そういった雰囲気作りから生まれるところもあると思う。デザインマニアな公務員っていないのかしら。
事務所に、バイトが来ることになった。がっつりとがんばってもらうことに。といった感じに、休み明けからフルスロットルで制作体制の整備に着手。おそらく、来年の春まで、遊ぶことなく作品制作に集中と言うことになりそうだ。UIデザイン的な思考ができるグラフィックデザイナも探さないとなぁ。新しい血をどんどん入れていかないと。
胡麻すり団子は、やはりうまい。
最近、悩み事が増えているなぁと思ったら、あごひげも白く…。
ふと思ったのだが、誰か女の子にも大人気な素敵でキュートなRSSリーダをつくって。
表参道のスタバは、MacBook率が高い。
8月
21
夏休み最後の日、相方の父の知り合いに誘われ、越谷(埼玉)の阿波踊り大会に行ってきた。行く前は、あまり期待していなかったのだが、着いてみてその規模の大きさにびっくりしてしまった。街の中の大きな通り4カ所が演舞場になり、さんさ踊りのように各チームが踊る。本場徳島からの招待チームも入れて、68チームも出演している。東京近郊の最後の祭りと言うこともあってか、結構な人手だった(今週末は、よさこい@表参道、浅草サンバもあるけど)。
先日、神楽坂に行ったときにも、阿波踊り大会をしていた。高円寺にもあるらしく、東京都内には数カ所阿波踊りをする場所があるようだが、考えてみれば阿波踊りは土佐は徳島の祭りである。なぜ、ここ東京で、阿波踊りなのか、不思議でしょうがない、というのが個人的な感想。きっと、これらの土地にも、独自の祭りがあったはずなのに。
地元の人たちが、本場の人たちに及ばないけども、一生懸命阿波踊りを5月頃から練習して、この夏の本番にその成果を披露し、地元の人々が楽しそうにそれを見ている。それは、素晴らしい光景ではある。しかし、どうしても「本場」は及ばない。やっぱり、阿波踊りは土佐のものなのだろう。
越谷の阿波踊りも22年も続き、もしかしたら伝統の域に達し始めているのかもしれないが、コンテキストのある伝統ではない。そう思ったときに、コンテキストがある、いやそんなの関係なく、その土地に在る伝統のものを持っているということは、なんと素晴らしいことなのかと改めて感じて、なんだか目頭が熱くなった。自分もそうであるのだが、身近にある、そういう誇り高いことを気付かないでいてしまっている。
守るべき伝統があると言うことは、なんとも息苦しいときもある。しかし、それはとても誇り高いことであり、幸せなことである。なんだか、夏休み、最後の日に、自分はそう感じた。
ただ一つ、付け加えておくとするならば、お祭りが終わった後、それまで踊っていた出演者の人々が一斉にゴミ拾いを始めた。あっという間に、道がキレイになっていく。みんな、この街を愛しているのである。伝統があることだけが素晴らしいことではない。その伝統とどう向き合うか、そしてどう生かしていくか(活かすではない、命を吹き込むか)。その姿勢が大切であるということも、この日、自分は知ったような気がする。
しんちゃんの個展に、なぜか、岩渕+ナルキ+相方+自分とで行ってくる。あぁ、濃い面子。ギャラリーで個展って、なんだか素敵。もしかしたら、自分も個展をすると素敵になれるかしらと、ちょっと輝いていたしんちゃんがうらやましい。グラフィックデザインと言うよりは、やはり彼はイラスト性がある人なのだと思う。これに、より個性的なタイポグラフィが入ってくると葛西薫的な雰囲気になるのだろうか。
そういえば、本日は安曇と香菜子が弊社に。しかしまぁ、盛岡に帰っていないのに、いろんな友人と会えてしまった夏である。不思議なものだ。
8月
19
しかも、思うのは、優秀なコンテンツ制作をしているのが
わりとTOKYOの制作会社さんの場合が多いっていうこと。
webならではの地理的なフレキシブルさを生かして云々ってことには
案外なっていないのでは?ということ。
どうなんでしょう、ここらへん。
というのが一つ。
おそらく、このあたりに個人的な興味がある。脳化社会からの解放、意識レイヤーからの解放といいますか、もっと人間は属地的に生きるべきで、自分が住みたい土地で生きるべきだと思う。その際に、自分の能力を生かせる職業に就けるか、自分の能力を引き出し会える人々と一緒に働けるかが重要なのだと思う。
個人的にインターネットによって提供されるコミュニケーションサービスが、仕事のあり方としての属地性を解放(つまり、東京の一極集中の解消)を実現し、本来の属地性を復活させてくれるのではないかという期待があるし、それを実現する方向に自分を持って行かなければならないと思っている。例えば、盛岡でグラフィックデザインをしているが、クライアントは東京や大阪とかね。チームメンバーも、日本のあちらこちらに分散しているという感じでしょうか。実際、自分の仕事でコラボレしているクリエイターの中には、地方に住んでいる人もいる。
自分も、1年ぐらい、東京と盛岡の間で仕事をしていたが、実際のところオンラインでのやりとりは苦ではなかった。逆に盛岡での温度差について変に悩み、東京に拠点を移すことになってしまったと最近感じている。精神的に弱かったんですね。孤独との闘いに挑めなかったと言いますか。
という自分も、新たな闘いの場にいる。それは、日本と外国という別な2点の構図。それには、きちんと挑もうと思う。
8月
18
何でもかんでも「かわいい」と表現するのに、自分は最近、嫌悪感を感じている。前までは、そうでもなかったような気がするのだが、このところ、そう感じることが多く、何か自分の中で変化があったのだろうかと、ここ数日考えていた。
問題なのは、「かわいい」と言わず、本来装飾されるべき言葉を自分自身も、持ち合わせていないことである。「かわいい」とは、別にかわいいわけではないらしい。ただ、「良いな」ということを表現するのに、「かわいい」なのである。だから、本来は、別な表現で装飾されるべきなのである。その一方で、ものを見たときにどんな基準で「かわいい」と発せられるかと言うところも、自分の中で捉え切れていない問題点でもある。
朝、早く目が覚めたので、テレビのチャンネルを回すと朝ドラの「純情きらり」がやっていた。母亡き後、実家の老舗味噌工場を継ぐかどうかで揺れるヒロインを演じる宮崎あおいを見て、きれいだぁと思ってしまった。この間までは、彼女に対する自分の中の装飾は「かわいい」であったのに。そのとき、何かすっとわかったことがあった。
少々話がまとまっていないが、「かわいい」から「きれい」への変化。どうやら、それが自分の中でのある基準の変化のようである。では、自分の中での「きれい」とは何か。自分の美的感覚をえぐるようで気持ちの悪い作業ではあるが、自分が、それを「キレイ」だと思う瞬間に得る印象とは何か?
どうやら、それは存在感らしい。さらに言えば、凛とした存在感。ごったの中にあっても、確かの存在感。それが、それである理由としての形状。その形状から誘われる行為と、そしてそれを果たす機能。それを見つけたとき、自分は「きれい」と思うらしい。自分の中では、それは「かわいい」ではないようである。
と思ったら、人が「かわいい」と言っているのも、気にならなくなった。なぜならば、それは自分の「キレイ」とは違うものであり、自分のものを見る視点とは違うわけであるから、自分のものに対する視点を浸食してくる脅威では無くなったからである。
