2月
19
Via! いわにち のち あさひ : いわにち「盛岡中心街に育児支援施設」
ところで大通りダイエー後を盛岡市が借りて、育児支援施設「つどいの広場」(仮称)にするらしい。初年度予算は約1700万。運営はNPOに委託だそーで。
素晴らしい。前に、内閣府の仕事をしているときに「つどいの広場」っていいなと思っていたのだが、盛岡の中心街にもできるというのは、大きな意味を持つと思う。
気になるのは、ダイエーの跡地を借り切り、こういった委託事業を決定するまでのプロセス。誰が、長年働きかけてきたのだろうか?そのあたりの詳細が気になります。もちろん、これからの運営も気になるが。
個人的にも、20代半ばを過ぎて、子育ての問題は、自分を含め、大きな問題になりつつある。
2月
19
昨日、蛍の料理がテレビに出ていた。
2月
18
朝起きて、うぐぐと部屋の中で、トントンと。
その後、BxB@大手町カフェへ。今回も、とてもおもろい。次回は、3/24。
イベントの後、順君を待たせつつ、SFCの斉藤さんから、地域通貨絡みのお話しを聞く。中座してしまったのだが、お話の中で、WAT、LETS、PGP、P2Pとか、大学時代にゼミで語られていたキーワードが多く出てきて、久々にそっち分野の脳みそがうずく。
個人的には、総表現者時代になってくると、地域通貨のブレークスルーとして、やはりアート、クリエイティブの分野でコミュニティマニーとしての地域通貨が生きてくるように思える。
しかし、あれですな、音楽コミュニティの話やPGPの重要性をこのところ、考えていたときにタイムリーな斉藤さんのお話。何かに、誘われているのか…。導かれているか…。
もし、価値の可視化が通貨のひとつの機能だと考えると、BxBで語られていた、これからのオリジナリティといえる、世界や文明に自分がどれぐらいコミットしているか、つまり、どれだけ自分がオリジンに対して触れているかが、オリジナリティといえるとしたら、その自分の行為に対する評価が通貨の価値になるのだろうか。つまり、一瞬のコミットは確かに価値として評価されるが、そのコミットが滞れば、その価値は減少していく。
だとすると、オープンソース形の文化形成に対する参加への評価。これも地域通貨が可視化できるひとつかもしれない。
オリジンにどれだけ触れられているか。興味深い。もっと、自分も本質的なことを発信していかなければならない。隠しても、それは財産にならないのである。本当の財産とは、結局のところ「オリジナリティ」であるから。
大手町カフェから仲通へ移り、順君とmi:mミーティング。話は、0.9.3の実装アイディアへと加速する。ケータイというインタフェースを用いての知識共有と経験共有。いろいろすべきことは多い。録音状況が悪いが(うるさいカフェで録らなければ良かったのにと後から思えば…)、Podcastingらしきものも収録。ほとんど、雑談とアホネタだけど。聞き返すと、良い話も、少々している。しかし、何で、あんなに自分の声、高いんだ!?PodCastingの配信を開始したら、お知らせします。
県北バスの東京営業所は、有楽町ビルヂングにある。驚いた。
最近、いろんなことがシームレスにやってくる。ひとつのプロジェクト用に覚えたことが、仕事、プライベートワークを問わずに関係してくる。おかげで、プライベートワーク2本の突破口が開けた予感。
今月の本代が怖い。
2月
17
mi:mのBlogをスタートしました。
mi:mの制作進捗や提案などを行い、みなさんからのご意見・ご要望を集めて行きたいと思っています。
今回は、ver.0.9.2のアップデート予定などを。
2月
16
sh-mobile-lab.の最終ワークセッションがあり、遅れ気味で参加する。行くと、なにやら面白い議論が。
その中で、地方出身を誇示する自分としては、おもしろい話が。地方の郊外型のSCが、主幹道路のイクスチェンジ周辺などに出店され、人々が「街」の商店から、郊外のSCに車に移動することで、移動間の時間の使われ方、行動の仕方が変わってきている、つまり、プロセスがこれまでの街を歩くから、ドアtoドアが強まり、その道中もiPodなどの移動体端末を用いることでメディア空間になり、街を移動している感覚が希薄になっているのではないかという話がメンバーから出ていた。加えて、これがGoogle的な検索システムによる、すぐに情報が出てくるという情報空間の流れと密接につながっているのではないか?と。
個人的には、すべては納得できる話ではないなと思いつつ、移動間の身体感覚、情報感覚の希薄化。これは、軽視できない問題であると思う。しかし、その一方で、自分の感覚として、地方における移動間が希薄化しているかというと、そうでもないと思うのである。
実家に帰った際に、車で郊外店に出かけることがあるのだが、道中の風景の変化などは、いつも刺激的であるし、自然が豊富な岩手では、その風景自体がある意味エンターテイメントであって、希薄な間ではないと個人的には思っている。もちろん、そんな風景に興味が無いという人には、退屈なひと時かもしれないが。いっそ、東京で地下鉄に乗りながら移動しているほうが、希薄間を感じる。六本木から青山を通り、渋谷に出る。これをバスで体験すると、まったく違う東京像が見えてくる。地下鉄では、街の風景はブラックボックス化。それこそ、どこでもドア。
郊外のSCの進出の話には、中心街の商店街の衰退化なども密接に関係している。商店街で買い物をするということは、その道中も、過程も、行為であり、なんとなく流れる風景ではなくなる。少なくとも、盛岡の街を歩くだけでも、多くの気付きが日々あるはずだ。
街の文化度、裕福度(ここでは文化的な、文明的なという意味で)とは、移動間の刺激度なのかもしれない。もちろん、その刺激に対して、チャネルを空けている五感と処理能力を僕らは、持ち合わせていなければならないのだが。
このところ、東京からもmi:mに投稿ができるようになったので(まだ公開準備中)、何か投稿できる、面白いものが無いかと、移動間は街の風景に興味津々。これは、散歩をするときに、カメラをぶら下げているか、いないかの感覚の差に近い。カメラを持っていると、いい写真を撮りたいなと思い、いい風景をより求めるようになる。すると、幾ばくか、自分の目の解像度が高くなるような気がする。あれ?こんなのあった?と多くの気付きがあるのだ。
mi:mやユビキタスミュージアムの持っている面白さというのは、そういった気付きを発信し、それを後に共有できるところである。
本当は、僕らはもっと、時間と空間を味わいながら過ごすべきなのではないか。そのための装置、それが今、僕らがつくっているものなのだろう。
2月
16
via! 流れる雲を友に : 斎藤純
盛岡市菜園のクッチーナでは、マイ箸持参だと生ビールの中ジョッキを1杯サービスしてくれるそうだ。こういう思いきった試みを取り入れるお店をどんどん応援したいですね。
学生時代、インディーズ映画の撮影でお世話になったクッチーナさんが、こんな取り組みを始めたらしい。良いですね、こういうの。
同じく、いろいろとお世話になっているブランカフェ04も、マイはしとかマイ弁当箱への割引サービスをしている。
もしかしたら、こういうお店が他にもあるのかな。こういうのをまとめたサイトがあるといいなぁと思いつつ。というのも、同じお金を払って食べるのだったら、こういうところに意識が高いお店を選びたい。これが、結構本当の気持ちだったりしている。
そういえば、昔、こういうのを集めたケータイサイトをしたいって、ブレスト的に話したことがあった。ちょっと、ニッチだけど、大切かもしれない。
2月
15
もし、アンケートで、所属している劇団は?という項目があったら、書くしかないだろう、劇団ゼミナール。
ということで、3月に公演をするらしいです。日程とか、劇団のBlogで知った。
劇団ゼミナール第22回公演 『オノマトペ』
盛岡劇場タウンホール
3月11日(土)14:00〜 19:00〜
3月12日(日)14:00〜 18:00〜
個人的には、東京ゼミの3月公演が気になる。写真が素敵。
2月
14
オリンピック中継を見てしまった。
仕事は、まずいぐらい、進まない。
自分が考えていることより、すごいと思えないことが出てきたときの落胆。
絵を描けることとコーディング(プログラムを実際に書ける)できることは、近いことだと思う。何か、形にできると言うことは、それぐらい強いこと。もちろん、人を組織して、一緒になって目指すものを作ることは、より強いことであるが。
このところ、思うのが、いわゆるプログラムの開発環境って恵まれていると言うこと。グラフィックデザインの世界だったら、ツールをそろえるだけで、結構な出費であるが、プログラムの場合、コンパイラもエディタも実行環境も、とりあえずはただで手に入る。なのに、その環境を活かし切れていないのではないかと、ここ最近思う。
2月
13
経済格差も、問題であるが、実はそれよりも深刻な格差問題が進行しているのではないか?と思う。それは、平たく言うとデジタルデバイド。深く言えば、情報編集格差、となるのだろうか。
これは、国内の問題ではなく、世界規模で進んでいる問題なのかもしれない。新しい価値観の元、情報をハンドリングできているか?その能力を持ちえているか。情報を一方的に摂取しているだけで、それらの情報を編集し、文脈をつけ、それを発信できているか?この差が、格差なのだと思う。この格差に、自分は大いなる危機を感じる。なぜならば、その格差が、上で書いた、経済格差を生むからである。
PCのメールを使えなくても、ケータイで済むから大丈夫。そんな表層的な問題ではない。圧倒的な広がりを持つ、インターネットという神経網に接続された巨大なストレージとアーカイブ。これに、いかにアクセスし、そこに蓄積され、そして常に変化する情報群をハンドリングし、リンクし、コンテキストを見出していくかという能力が求められている。基本は、本を読み、その情報を整理することではあるが、ここ数年、そしてこれから数年、もっと大きな情報における変化が深い層で、それは深海層のようにゆっくりと、そしてダイナミックに起きていく。
気付いたときには、本当に取り返しのつかない格差が生まれているのではないだろうか。
情報の捉え方の変化ではない。「構造」の変化である。ヒエラルキー的なIndexという構造が、別の様態に変化していく。
同時に、「情報」というある程度整理されたものを扱うことがすべてではない。人工的な符号化されていないさまざまな情報をセンシティブに感じ、処理できる感性と能力。これも、同時に求めれている。
この二つの能力をどういった神経網において、構築し、連携させていくか。間違いなく、それはひとつの流れに落ち着く問題ではあると思うのだが。
ひとつ、面白い話を聞いた。Googleのシステムを構築した男は、脳神経外科の医師でもあった。
2月
12
今日は、体が動かなかった。いろいろと進まないなぁ。
岩井さんの新刊、気になる。最近、こどもとかね、気になります。個人的には、まだ子育ては早いのだが、広く一般的に、子供たちが楽しんでくれそうなものをつくることって、それは女の子に喜ばれるようなものを作るのと比較できないぐらいの喜びだと思う。
自分が作りたいのは、おもちゃである。TOYである。Global – Toy.
高知産のナスを買った。彼らは、今を夏だと思っているのだろうか。なぜ、特売だったのかは、謎だが、意外とうまかった。