5 月
31
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本日は、IBCの最終出勤日。これで、月締めの収入がなくなると思うと、おぉ潔いなぁと思いつつ、さぁてどうすると改めて身が引き締まる思い。
ありがたいことに、新たに入ったスタッフとともに歓送迎会も開いて頂き、ありがたいに尽きる。こうして、温かく送り出してもらえることを嬉しく思う。どっかーんとやってきます。
その席で、来月から制作に移る超上司が(たぶん、まだ公には書けないので)、挨拶でminiDVを片手に取材し、Final Cut Proで編集して、若いやつに見せつけてやるとおっしゃって、熱いものを感じた。その方は、伝説のディレクタな人なのだが、今でもものづくりの人なのだと思って良いなぁって思った。俺が行動で示してやるというか、その意気込みに脱帽。さらに、これは勝てないなと思ったことがあった。Final Cut Proで編集するだなんてすごいなぁって思って、何でですか?とか話していたら、今のコンシューマ機材はプロ用のSDレベルの機材とそんなに変わらない。でも、自分には「構成力」があるとおっしゃった。構成力かぁ。それは、正直言って負けるなと思った。ご一緒にお仕事をして、その技を盗ませてもらたかったなぁと思いつつ、アラカワがんばれよの一言が身に染みる。
在盛のラストワークの納期などが決まる。予定では7月上旬には、みなさんのお目にかかると思う。そして、今回は一つ自分がやり遂げたかったことができそうである。結構事件なことである。これもお楽しみに。
「最高の『B to C』」。本来、B to C(Business to Consumer)であるべきものが、B to Bな関係に埋もれている。なんとなく、そんなことを思った。それで、世の中が回っている。それって、あんまり良いとは思わない。
5 月
30
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5 月
29
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ショービジネス。クラブで騒ぎながら思ったんだが、クラブパーティをきちんとビジネスとして企画できる人は、盛岡などの地方都市の場合、その都市には何人ぐらいいるのだろうか?ビジネスととしてと言うのは、主な仕事がDJではないが企画制作・マスコミ・イベント制作会社の事業としてその企画に関わっている人は何人いるのだろうか?ということである。もちろん、生業は別だがDJを熱くやっている人たちが企画している場合が多いと思うのだが、それが生業に直接つながっているわけではないと思うので、ここでは除外して考えてみる。
そんな頭でっかちな堅いことを考えるのかと思われるのかもしれないが、地方におけるショービジネスの甘さがあるのではないかと改めて問題提起してみる。
果たして、クラブパーティがショービズなのか?という問題もあるが、でも、やはりあれはDJが行うショーであると思うので、やはりショービズだと思う。
そのパーティが良かったので、こういったパーティを自分が30歳過ぎてから、きちんと企画できる力を持てるかなぁと考えつつ、恐らくその年の自分が企画するとなると、それは遊びじゃなくて仕事になるだろうから、それはペイできるものなのか?って考えた。
学生が「勉強」でノーギャラでそういったイベントに関わるのは良いことだと思うのだが、それをいつまでも続けるわけにはいかない。いや、そういうアマチュアだけがやっていると、市場的には広がっていかないし、市場が広がらないとつまりは、レベルも上がらない。コンテンツ制作関係の人間が、こういったクラブパーティを事業の一環として作っていけるかが、実は結構大事なのではないかと考えたりする。では、どういう会社が関われるかというと、テレビ・ラジオ局とか、出版社、広告代理店、制作会社、その他のデザイン事務所となってくると思われる。数年前まで、いろいろそういう動きも盛岡ではあったが、最近はあまり見かけない。あまり、おいしい仕事ではなかったのだろうか。
このことは、クラブパーティだけに言えることではなくて、インディーズ映画もそうだと思うし、他の地方におけるエンターテイメント、すべてに言えることなのだと思う。それが、趣味なのかそうではないのか、その線引きは難しいが、でもそれに体当たりするプロがいなければ、地方におけるエンターテイメント、コンテンツ産業というのは変わらないと思う。
何でこんなことを言うかというと、自分が非常にこういった問題に敏感というのがある。地方におけるコンテンツ制作能力ってやつです。
正直言って、僕の周りの一般的な職業に就いている友人達と話して、岩手のローカルコンテンツに対しての評価は低いです。満足していないんですね。これは、テレビもラジオ(でも、ラジオは意外とウケが良いかも)も、雑誌にも同じくです。ローカルは悲しくなるから見ないなんて言う人まで。それじゃぁ、まずいと思う。国策ならぬ、県策、市策にしてでも、この問題は変えていかないとまずいと思う。特にも、受け手の一般人と現場の制作者との乖離が著しい。まぁ、だいたいみんな予算のせいにするんだけどね。それって、自分は安い人間ですと認めているのか…。予算がなくたって、少なくともそこにその人がいるわけで、その人がどれぐらいのパフォーマンスをできるかが重要なわけだと思うのです。もし、それが認められれば、それなりの反応が世からあるのだろうし。
知ってます?岩手県民って、日本で一番お国自慢をしない人たちらしいです。こういうところに、実は、上で挙げた問題の一端が出ているような気がします。戸ノ岡のときにも言ったけども、自分の土地に誇りを持てないことは、悲しいことなのです。
5 月
28
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blogの効能。最近、見るWEBサイトとか、技術的なことで検索して行き着くサイトはblogサイトが多い。そんなこんなで、見ているWEBの大半はblog。ちょっとだけ、トレンディです。
そんな中、気づいたことが。読書量が増えたと言うこと。blogって結局、文字、活字の集合体なわけで、ちょっとしたエッセイとか記事を読んでいるのと変わらないのかも。実際自分も、そういう流れで本当の本を買って読むような習慣が付いたのかも。活字離れとか言われる昨今ですが、情報発信と摂取の抱き合わせ教育でblogを教育機関で教えていくのも大切かもしれません。すでに、情報社会系、メディアリテラシ系では、blogを教育・研究で取り上げられているようです。
ちょっとしたもの自慢なエッセイ本を読む。ものへのこだわりって、良いなと思うんです。それも、男的なこだわりも良いんだけど、日常生活の中でのこだわりを出す女的なこだわりも、これまた美しいなと。
こだわりとは、とても時間を必要とすること。つまり、さくっとコンビニとか量販店で買えないとか、選びきれないものがある。そこに、きっと物への愛着などが生まれてくるきっかけがあるんでしょうね。と、同時に、その商品について語れる店主がいるというのも大切かも。
「語れる」というのは、様々な次元でそのものを理解していることだと思うんです。右脳的に、左脳的にいずれかの形でも理解していないと、語れないんですよね。と、同時にそれに添う表現も知らないといけない。
本当に語るって、本当に難しいなって思うけども、そこに惹かれて、こうしている自分がいるわけで。本当に語ることができているか、考えたいものです。
5 月
27
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「お世話になりました」メールを職場関係の方に出させてもらった。こういうのは、人生初体験。
今日の昼飯は、久々にヒット!!
その足で本屋に行くと、気になってい雑誌の新刊が出ていて、さらにはよさげな雑誌の創刊号が出ていて早速購入。最近、個人的に気になっているのが写真と字とそれらの構成。でも、思うのだが、自分、本とか雑誌を買いすぎ。資料棚が狭くなる。
最近、自分が好きなデザインベースがわかってきて、それに近い本や雑誌は収集するようにしている。
友人に、アイディアを聞いてもらう。そして、向こうの話も聞く。人は常に岐路に立たされているのです。そこで、どんな判断をするか。判断を下す前に、きっとそこには信念が必要なんだろうなと思った。その信念、思想が、人を動かす。それが無ければ、興味も持たれないかもしれないし。
5 月
26
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心身がかみ合わない。まさしくその通り。
何を思い立ったか、岩手の染め物・織物などをネットで検索してみる。いろいろあるんですね。勉強になりました。しかし、よくわからないのが、なぜか地場産品のWEBサイトがかっこわるいこと。文字だらけに、写真もいけてない。なんでだろう。
知り合いのグループ展に行ってきた久々に、刺激的な才能たちに出会ってきたような気がする。このところ、そういう才能を如何に世に出していくかと言うことを考えているので、単純に受けてとしても見つつ、そういう視点でも作品を見る。
作品を見終わった後、帰ろうと思ったら声をかけられて作品の感想を聞かれて、いろいろ話したんだけど、一つだけパッケージとそれに伴うキャラクタをデザインしている作品があって、商品の販促などを考えると結構デザインとしてまとまっているよねと話したら、そういう見方もあるんだなと言われた。逆に言うと、そういう視点が彼らのコミュニティの中には無いんだと思ったとき、はたっと思った。そうか、そういうことを教える教育現場がないのかって。
アートとかデザインとか、そういうのを「売る」ということを教える教育機関が、「つくる」と一緒になければならないと思うのだが、それが無いのかと思ったときに、これはまずいことだなと思った。つくりっぱなしは、良くないからね。考えてみると、自分が出た学部でも、そういうビジネスのことを教える講義というのは数少なかった。確か、夏の集中講義の時にあったぐらいで、例えば自分が研究しているテーマを商品化して、売るにはどうしようかという講義は無かったと記憶している。まぁ、学術的にはいらないのかもしれないが、人材を育成するという点では結構大切な分野だと思う。
待てよ、他の学部でそういう人材を育てるようなカリキュラムがあったんだろうか。その場合でも、お互いの人材を引き合わせる場がないと、無理だよなって思う。
先に話した地場産品のこともそうなのですが、どう売るかと言うことをやはり考えていかなければならないと思う。どう売るかというのは、如何に売り上げを上げるかと言うことではなくて、お客さんと出会って、仲良くなっていくかということらしい。もちろん、諸先輩方がそれに長い間が取り組まれてきているはずだ。しかし、何かが違うと思う。その何か。そう、その何かが、きっと重要なのだ。その何かを認識できることを目指そう。
5 月
25
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最近の密かな楽しみは、夜な夜な酒を飲みながら読書をすること。マジで忙しいとできないことなので、できると嬉しい。
拉致被害者家族会へ批判的な意見が届いているそうだ。確かに、結構手厳しい意見を首相に話していたからなぁ。ただ、その一方で、感謝している発言の部分は報道では流れていなかったという話もあるし、どうなのでしょう。核保有をかなり疑われている国家、それもアメリカがテロ支援国家と呼ばわっている国に乗り込むのだから、その決断だけでもかなりのものだという評価もあるし。一つ言えることは、小泉首相が、今まで誰も挑まなかった問題に、挑んでいると言うことだと思う。
5 月
24
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今週も始まります。
さてさて、最近おもしろいなと思っていることは、人の噂というのはなんとも、ぬったりと後ろをついてくるような感があると言うこと。こちらとして、すでにそれは終わっていることなのに、人々の中では、それはまだ続いていると思っているので、タイムラグがあるんですね。なんだか、俺が先を行っていると思ってしまったりするのですが、そういうことではないわけで、未だにそうだとおもっているの?困るなぁという感じでしょうか。
本日も、IBCに入ったんでしょ?と久しぶりに知り合いに聞かれ、いやぁー違いますよ、と否定。ちなみに、後二日しか行かないんですけどと思いつつ、おもしろいなぁと。
6月から全くのフリーランスです。不安もありますが、なんだか人生の中においてのそういう時期なんだなと思ってます。フリーターとフリーランス。どちらを名乗って良いのか困っていたのですが、先日お会いしたフリーランスの方に聞くと、時給、日雇いはフリーター。案件ごとにギャラをもらう場合は、フリーランス。という感じだそうだ。なので、自分はフリーランスらしい。でも、フリースタイルクリエイターを略して、フリーター。というネタトークをしたいなと思いつつ、フリーランスな「フリーター」を目指します。
今日は、本当に晴れた。しかし、そろそろ梅雨だよね、という会話もちらほら聞こえるわけで、憂鬱な季節が到来しそうです。でも、あじさいがきれいな季節なわけで、それは良いよなぁ。
5 月
23
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良いアイディアが夜に浮かぶ。これなら、うまく持って行けるかもというアイディア。
きっと、犬と猫のおかげだろう。今日は、リフレッシュをしようと思い、犬猫の世話を手伝うことに。猫を抱いて、犬を散歩して過ごした一日でした。人間、こんなに優しい気持ちを持っているのねと思いつつ、動物とは不思議なものです。
5 月
22
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見直してみたら、意外とそうでもなかった。というか、なんでそこまで…ということがありました。「冷静さ」がなんと大事なことかと改めて思わされました。でも、この「冷静さ」というのをあまり持ちすぎることに、自分は怖さを感じています。
本来、自分はアーティストではないと思っているので別に良いのですが(本当に別に良いと思っているかは、定かではないが)、アーティストというのは、感情に流されるというのも必要だと思うんです。むしろ、何かに対して冷静すぎるというのは、それはそれでおもしろみがないなって思うんです。きっと、そこに社会性がないとか、アナーキーだとか言われる所以があると思うんですが、アーティストはもっと感情むき出しでいて欲しいなと。クリエイターとかに求められるのは、その逆で冷静さなんだと思うんです。これはおもしろい。という直感的な印象から、理論的にどう捉えていくかを細かく分析してそこから解を出していくというのが、クリエイタというかデザイナの仕事かなと。分野によってはかなり違ってくるとは思うんですが。
最近、自分でも嫌なほど、言葉で説明というのを考えるんです。理由を考えるんですね。というと、後付の良い加減な理由付けか?と思われるかもしれないのですが、違いまして、これがおもしろい、美しいと直感的に思う、そしてそれはなぜなのかって真剣に考えることにしているのです。少なくとも、それを他人にプレゼンできなければ、自分の中で納得できないのです。嫌な作業かもしれないですけどね。なんだろう、美しいものを単純に美しいと捉えていないわけですから、原始的な感動とかが隠れてしまう危険性もあるわけです。例えば、かわいい女の子がいて、その子がなぜかわいいのかを語る男は嫌でしょ。あの子の目は大きく、かつその子の鼻は小鼻であることで、キュート感が出ているとか、そんなことを語るヤツは自分でもひく。でも、そんなことをしないと、何かがおさまらないのです。
拉致被害家族の問題。今回、かなりの人道支援を決めてきたわけですが、いわゆる身代金ですよね。これって。そうは言ってしまってはいけないと思うのですが、そういうことですよね。国家による拉致がこういう風にカードにされるのかと思うと、何なんだ?と思いますね。今回の外交に関しては、いろいろ評価が分かれているのですが、意外にも共産党は評価している。社民党は、伝わってきている事実を述べているだけで、何が良かったのかダメだったのかも言えない状況。民主党は、手厳しく批判。いつも思うのですが、民主党は批判はするけど代替案を表に持ってこないですよね。自分ならこうしますけどね、と暗に批判する方がよっぽど説得力があると思う。
明日、楽しいことが待っているような気がするけど、心が晴れないのはなぜだろう。心の天気予報ってヤツは無いな。少なくともわかっているのは、傘を持ち歩くようになったら終わりだと思う。まして、折りたたみ傘なんて。